私の体は音楽と映画と旅でできている

タイトルのまんまのブログ。中年主婦が映画、音楽、旅行について思いつくままに書いてます。

【映画で歴史をお勉強】至高の青春映画『ブラザー・サン・シスター・ムーン』

聖地アッシジは私が世界で最も愛する街の一つですが、昔、イタリア関係の映画本を出したくて、アッシジについて書いた駄文を転載します。
長いので2回に分けてUPします。

古代からイタリアは城塞としての役割も兼ねて丘の上に街を作った。
不便な位置にあるため、開発から取り残されたが、それが幸いして昔日の面影を今に留め、詩情豊かな雰囲気を醸し出している。

時が止まったような小さな町々はただでさえどこか浮世離れしているが、このアッシジは聖フランチェスコゆかりの聖地という先入観も手伝ってか、神聖な気持ちにさせられる。

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聖地でありながら、異教徒を排除しようといったような雰囲気はなく、また三大宗教の聖地エルサレムのような宗教的緊張感も感じさせない。薔薇色のレンガで統一された街は中世独特の暗さはなく、どこか包み込むように温かさを感じさせる。

この街を世界的に知らしめているのは聖フランチェスコの存在に他ならない。
もし、この街が聖フランチェスコを送り出さなければ、どれだけ歴史的価値がある美しい街であろうとウンブリア地方の街の一つとして埋もれてしまったに違いない。

生まれて初めて、アッシジの街に足を踏み入れた瞬間、そのあまりの美しさに溜息が漏れてしまった。
そこはまさに別世界であり、タイム・トンネルをくぐり抜けてきたように一気に中世の時代に引き戻されてしまう。路地裏などを散策していると今にもフランチェスコとその仲間が托鉢をしに現れそうだ。

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 イギリスの村をご存知の方なら、ラコックやブロードウェイといった小さな村々を思い浮かべて欲しい。季節の花々に囲まれた石積みの小さな家々が建ち並ぶこれらの村をもっと大きくしたのがアッシジだと思っていただければいいだろう。
地上の楽園とはこのような街の事を言うのではないだろうか。

扉や窓を取り替えて、屋根の上の邪魔なアンテナなど現代的なものを取り去ればそのまま中世の映画を撮影することができるだろう。ここは時を凍結させているのだ。

 

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 私をこのアッシジに惹きつけのは、中学生の頃に近所の教会の映画上映会で観た『ブラザー・サン・シスター・ムーン』(1972)だった。
はっきり言って当時の私はキリスト教信者でもなければ、キリスト教そのものにも無知で、ただ単に映画が無料で見れるからという単純な動機で見に行ったに過ぎなかったが、映画に描かれている歴史的背景やフランチェスコという聖人について何も知らなかった当時でも、画面中のイタリアの田舎の美しい自然、ドノバンの音楽、フランチェスコの純粋性に打たれたのを覚えている。

 監督はイタリアの名匠フランコ・ゼッフィレリ。彼が68年に発表した『ロミオとジュリエット』では16歳のオリビア・ハッセー、17歳のレナード・ホワイティングという若手新人俳優を起用し、歴史上最も若いロミオとジュリエットを通して、まるで現代の若者の恋を描くかのように瑞々しいタッチでシェイクスピアの古典を映像化して世間をあっと驚かせたものだった。

そのゼッフィレリ監督が自国の聖人フランチェスコを取り上げた名作が『ブラザー・サン・シスター・ムーン』であり、放蕩息子だった彼がキリストの精神に目覚め、ローマ教皇の福音を得るまでを、描いた青春映画で、偉大な聖人の伝記映画というよりも、青春映画として昇華されている事で、宗教映画にありがちな説教臭さを払拭し、多くの人々の共感を呼んだ。

ゼッフィレリは「美しい自然の中に愛や自由や平和を見出し、人間らしく生きたい」と願うフランチェスコの精神の目覚めと自然に対する愛を通して、現代に生きる全ての人々に愛の尊さを訴えた自然賛歌、人間賛歌となっている。
 
また、72年当時、アメリカのベトナム戦争は泥沼化していた。反戦運動が世界中に飛び火し、ヒッピームーブメントが起こったが、当時の人たちは彼らの事をフラワー・チルドレンと呼んだ。
一方、映画のフランチェスコは十字軍の遠征で傷つき、懐かしい故郷の自然と接している内に、神の声を聞き、全てを捨てて清貧に生きるようになる。そんな彼に同調する若者達が集まってきてグループを作り、貧しい人の為に尽くそうとする。
監督は「鳥のように自由に純粋に生きたい」と願う彼らをフラワー・チルドレンに重ね合わせたいという。

ちなみに音楽を担当したドノバンは典型的なヒッピー・フォーク・シンガーだったそうだ。
 政府と社会に背を向け、大人になる事を拒否し、戦争や体制への怒りを麻薬とセックスで紛らそうとしたヒッピーと信仰に根ざした慈善に生きるフランチェスコ達とを混同するのはいささか失礼ではないかという気がしないでもないが、時代が映画に与える影響を考えると興味深いものがある。

 それにしても、よくこのような斬新な宗教映画がフランチェスコ教会で受け入れられたものだと感心することしきりである。中には事実と違うと糾弾する者もいただろう。しかし、映画は伝記ではない。歴史上の人物を描いても、事実の間にはどうしても食い違いが出てくるし、単に事実を辿るだけでは映画は退屈なものになってしまう。かと言って聖人を描くからにはあまり歪曲はできないし、その境界が難しいわけだが、この映画は史実と創作がバランス良く配合されていたと思う。 
 
聖フランチェスコは1181年、アッシジの裕福な商人ピエトロ・ベルナルドネの息子として生まれた。本名をフランチェスコ・ベルナルドネといい、母親はフランスの貴族出身であると伝えられている。

 教育熱心な父親はフランチェスコを教会付属の学校に通わせたが、彼はここで多くの貴族や上流階級の子弟の友人ができた。

朗らかで優しい彼は誰からも好かれ、実際この時の友人達が最初の弟子となったわけだが、彼の教義もさることながら本人の人柄によるものが大きいと思う。よほど魅力的な青年だったのだろうが、映画では最初フランチェスコをバカにしていた旧友達が次々と彼に感化されていく過程が感動的に描かれている。

瑞々しく清らかなグレアム・フォークナーが演じるからこそ説得力があり、ある神父さんも彼が一番本物のフランチェスコのイメージに近いと言っていたし、多くの人がフランチェスコと言えばこの映画を思い浮かべるそうだ。

 父の財力にものを言わせて、友人達と放蕩三昧の生活を送っていた彼に転機が訪れたのはペルージアとの戦争である。

 当時のイタリアを支配していたのは神聖ローマ帝国である。ローマ帝国というとどうしてもあの歴史上類を見ない発展を遂げたローマ帝国を思い出すが、そちらとはほとんど無関係である。ローマ帝国滅亡後、勢力を強めていたゲルマン民族が様々な勢力がかつてのローマの領土に部族国家を建設していったが、フランク王国カール大帝西ローマ帝国の皇帝を宣言した。これが神聖ローマ帝国の始まりであるが、それは古典古代の文化とキリスト教にゲルマン精神が融合したもので、ローマ帝国とは趣を事にしている。

ローマ教皇と深い繋がりのあるカール大帝は、次第にヨーロッパの広範囲を支配下に置いていく。

 その時代、商人と職人を中心とした支配階級が新勢力として台頭し、その財にものを言わせて、政治的な発言力を徐々に強めていった。彼らは従来の封建体制に反発し、独立と自治を求めて幾度となく帝国と衝突した。

そして、1198年、アッシジはついに神聖ローマ帝国の力の及ばない教皇領に支配権を渡す事になった。フランチェスコ一七歳の時である。アッシジから追い出された帝国配下の貴族達はやがて、アッシジと敵対関係にあったペルージャに亡命。
政権奪回を図る彼らはペルージャを後ろ盾にアッシジに宣戦布告する。それまで親の財力を背景に、思うままに青春を謳歌していたフランチェスコも防衛のために戦争に参加せざるを得なくなる。

元々騎士に憧れていた事もあって勇敢に闘うが、やがてペルージャの捕虜となって1年も獄中に繋がれる事となる。
 父が賠償金を払ってようやく捕虜生活から解放されるが、元々、あまり頑健でなかった彼はこの過酷な捕虜生活ですっかり健康を害してしまい、帰国してからしばらく病床に伏してしまった。

ようやく起き上がれるようになった彼を慰めたのは故郷ウンブリアの美しい自然であったことは想像に難くない。
 ウンブリアは陰を意味するラテン語のウンブラを語源とする、緑豊かな起伏に富んだ美しい地方である。

5月になると映画のようにポピーの花が一面に咲き乱れる光景を見る事ができるという。

私が行った時はまだ4月だったので、残念ながらポピーの花は見られなかったが、街の外れにある城塞の塔から眺めるアッシジ周囲の光景はさながら緑の絨毯を敷き詰めたようだった。フランチェスコを育んだのはこのウンブリアの自然であり、森の中で陽の光を浴び、花や蝶と戯れているうちに彼の心の中に変化が起こった。おそらく、この時に戦争に対する疑問、世の中の矛盾に気付き、葛藤していたのだろう。

 映画では戦争から戻って来るところから始まる。病気で生死の境をさ迷った後、ようやく、戦争の悪夢からから目覚めたフランチェスコが鳥の声に誘われ、街の人が見守る中、屋根の上に登って鳥を追いかけるシーンはあまりにも印象的だった。

他の人から見れば気が狂ったとしか思えなかっただろう。彼の心は何かを求めてさ迷うようになるが、町外れにある朽ち果てた教会を見て以来、ある衝動に囚われるようになる。
 
それが何かわからぬままに今度は南イタリアローマ教皇庁神聖ローマ帝国との軍事衝突が起こり、彼は再び戦地へと赴くこととなる。彼はスポレートに向かうが、そこで不思議な夢を見る。その内面の声は『お前のなすべきことをせよ』と語りかけていた。

やがて、アッシジに戻った彼は荒れ果てたサン・ダミアーノ教会の十字架の前に立つと今度は『教会を建て直せ』という言葉を聞き、家から商売道具である織物を持ち出して、それを金に変え、教会の修復資金に当てようとする。

 家族とフランチェスコの葛藤は映画では以下のように様に描かれる。フランチェスコは初めて家の作業所に入っていく。その日も差さない穴倉のような工場では、労働者たちが重労働にあえいでいる。フランチェスコはその中の一人を外に出して、休息を取らせ、それだけにとどまらず家の織物を窓から投げ出すのである。

 父親にすれば、息子の気が触れたとしか思えなかっただろう。彼は街の司祭にそれを訴えるが、フランチェスコは持ち出したもの全てを『リトル・ブッダ』でもシッダルーダ王子が妻子を捨てて、信仰の入っていくシーンがあったが、家族にとってその辛さは想像の域をはるかに越えていただろう。映画では家を捨てたフランチェスコが両親の家の中庭に入っていくシーンがあったが、彼の内面の辛さを象徴しているようでもあった。たとえ、神と貧しい人のために生きるという選択が崇高でるとしても、それが親を悲しませるとしたら、彼の教義は理解できても全面的に賛同できないのは、私が俗物だからだろうか。
このような経緯を経て、信仰に目覚めたフランチェスコと<貧しき兄弟会>はローマに赴き、当時のローマ教皇イノセント三世の謁見を求め、その教義を認められる。映画が描いているのはここまでだ。彼は行く先々で奇跡を起こし、やがて44歳でその生涯を閉じる。

 映画の中では、雨の中、街の人間にバカにされながら托鉢するフランチェスコにキアラがパンを差し出した後、フランチェスコが空を見上げると雲間から太陽が覗いていた。

雨宿りがてら店をひやかしながら元来た道を戻って行くと、そのうち映画のように、雨が止んで雲間から太陽が覗いていて、映画を思い出さずにはいられず、涙が溢れてきた。

 標高1000メートルにあるアッシジの太陽はローマのように容赦なく照りつけることもなく、あくまで暖かく慈愛に満ちていて、この太陽に照らされているとフランチェスコの愛に抱きしめられているような錯覚に陥ってしまう。フランチェスコが「太陽は兄弟、月は姉妹」と歌いたくなる気持ちがわかるような気がした。