私の体は音楽と映画と旅でできている

タイトルのまんまのブログ。中年主婦が映画、音楽、旅行について思いつくままに書いてます。

『キングダム』と始皇帝について

アイルランド ハープ合宿に気を取られていてすっかりブログ更新が滞ってしまいました。

マンガの実写化は失敗する事が多く、この作品も全く期待しておらず、鑑賞予定になかったのですが、評判がいいので、観てみたらこれが超がつくくらい面白かった。 


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原作を読んでなかったから良かったのかもしれないけど、原作ファンも絶賛していたので、結構忠実に映像化していたのだと思う。

ヘタレなイメージの強い山崎賢人も殺陣とか頑張っていたと思います。
すごく訓練したんでしょうね。

アクションもさる事ながらセットとか背景とかすごく凝っていると思いましたが、とてっきり中国にロケしたのかと思ったらほぼセットとCGだというから驚きました。
歴史大作というよりヒロイック・ファンタジー要素が強いですね。

私は原作は読んでないのですが、先が気になってNetflixのアニメ版を観たのですが、これもまた面白かった。f:id:kiaralovesharp:20190628051421j:image


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一部が前半が映画で描かれている政が王位を取り戻すまでと王騎将軍の死まで、二部は信が数々の戦いを経て正式に千人将へと上り詰め、政は呂不偉との本格的な対決を決意するまでが描かれています。

一部では子供っぽかった信と政が二部ではやや大人っぽくなっていますね。

アニメは今、発売されている50巻の半分くらいしか消化できてませんが、3部の放映はまだ未定みたいですね。
NHKで放映されたようですが、資金いくらでもあるんだからもっと協力しろよ。
大河ドラマもショボいし、平均年収1500万も取っているのだからその分を制作費に回してもバチが当たらないのでは。

さてら暴君のイメージの強い始皇帝ですが、あれだけの事を成し遂げるには聖人君子では無理でしょう。
私の知る限り聖人君子の皇帝は古代ローママルクス・アウレリウスくらいでしょうか。
もっとも、中国は前王朝を全否定するので、誇張も入ってるんでしょうね。

これは、暴君とされたローマ皇帝がほぼ例外なく元老院と対立関係にあり、その死後は功績が抹殺された事と似ています。

私は塩野七生の『ローマ人の物語』を読んで以来、定説を疑ってかかる癖が身についてしまったので、自分なりに始皇帝について調べてみました。

どうも、『キングダム』で描かれる冷徹ではあるけど、公正で寛大な政とのちの暴君と呼ばれた始皇帝が繋がらないというのもその理由の一つですが、原作者も色々調べたんでしょうね。

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こちらに面白い記事が載っていたので抜粋します。

https://www.epochtimes.jp/2016

"これまで始皇帝は在位中に数々の圧政を行ったとも言われてきたが、それは始皇帝が死去して119年後、つまり漢の武帝の時代に司馬遷が記した『史記』の記述から後世の人々が推測したものに過ぎない。"

"これまで始皇帝は、受刑者や奴隷70万人を動員し、巨額の費用を投じて、始皇帝陵と阿房宮を建築したと思われていた。

 だが、これは本来「朝廷の官吏を派遣し、軍人や囚人、他国の捕虜を70万人徴集して驪山の整備や阿房宮の建設に従事させられた」ということを意味しており、平民や百姓を徴収したわけではないのだ。そして「隠宮」とは受刑者ではなく宮中の宦官(去勢した男性官吏)を指している。

秦王朝では成人男性は一生のうち1年間の兵役に就き、予備兵役又は開墾事業に1年間、その後は毎年夜間の見張りに1カ月従事していたと記されている。例えば20歳男性の場合、50歳になるまでに兵役や賦役に従事すべき期間はおよそ4年半にすぎなかったという。"

これは、徴兵制や奉仕活動がある現代の一部の国と比べて大差がない。

焚書坑儒の真相

"始皇帝と言えば焚書坑儒を連想する人も多いだろう。焚書坑儒始皇帝の残虐さの象徴ともいえる事件であり、それまでの中国の歴史や文化を破壊したとも言われている。だが、始皇帝焚書坑儒を行った真の目的は、玉石混淆な思想・文化が入り乱れた状態を一掃し、詐術を用いて人心を惑わす者を排除することであり、正統な文化を後世に残すためであった。この意味で始皇帝の行った「焚書坑儒」は後世に語り継がれるべき大きな功績である。"

儒学は日本の道徳観のベースになった思想ですが、迷信的なところもあり、弊害も多かったそうです。
例えば、コーランによる統治をしているゴリゴリのイスラム教国家がありますが、その弊害は極端な家長制度、女性の財産化"(奴属化)など人権的に問題があるのはよく知られています。
トルコのアタチュルクは政教分離を成し遂げ、イラクサダム・フセインは強健的ではあるけど、原理主義が嫌いで女性解放がかなり進んでいました。
古くは織田信長比叡山武装寺を攻撃しました。

"「坑儒」に至っては、人を騙し、詐欺を行い国の政策を混乱させる一部の道士らを一掃する政策にすぎなかった。"

刑の苛烈さも特に始皇帝が突出していたわけでなく、古代中国では一般に行われていたものに過ぎません。
今の価値観で歴史を裁いてはいけないのです。
それでも、明らかに残虐行為を楽しんでいた為政者もいたそうなので、そう考えると始皇帝の行った刑罰は私的なものでなく、公的なものだったから、公正と言えるかもしれません。