このブログについて
はじめまして!
今までfacebookのグループなどに書き散らした映画や海外ドラマの記事などをまとめるためにこのブログを開設いたしました。
また、昔ホームページを運営していた時に書き散らした駄文もこちらに移行したいと思います。
音楽は80年代頃のクラシック・ロックを好んで聴きますが、私が好きな数少ない21世紀アーティストについても書いていきます。
私は昔からU2が好きで、彼らの故郷アイルランドについて色調べているうちにアイルランドそのものの魅力に取りつかれ、U2と仲のいいCLANNADの曲を聴くようになり、その流れで今はハープを習っています。
U2が遠因でハープを習いだした人間というのもまた稀有だと思いますが、もはやライフワークと化しており、最近ではPOPSをハープで弾くことにチャレンジしております。
ジャズ・ハーピストという肩書の人もいますが、いつかROCKハーピストと呼ばれてみたいものです。
音楽や映画だけでなく、時々美術やマンガの話題も取り上げたいと思います。
以前にもブログをやってましたが、今はもっと進化しておばさんにはついていけないところがあり、慣れるには時間がかかると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
レンヌからサン・マロへの日帰り旅行
レンヌからサン・マロへ小旅行
レンヌ駅から電車に乗ってほぼ1時間の距離にあるサン・マロに行ってきました。
フランス語のチケット自販機なんて使う事できないので、最上階の窓口で購入しようとしたら、案内の女性は下に行って買えという。
しかし、それらしい場所は見当たらず、また窓口に戻ってそれを伝えると番号札を渡されて、ここで待てと言う。
それなら最初からここで買わせろよ。
とりあえず、15分程待たされてようやく購入。混んでるから下に行けと言ったのかな。
カンペール行きを購入する時はもっと待たされたので、教えてもらって自販機でカード購入しました。
サン・マロ駅から旧市街までほぼ1キロ。
バスもありますが、私は20分かけてゆっくり歩く事にしました。
サン・マロは城壁に囲まれた港町。
夏のバカンスでビーチでは既に泳いでいる人がいました。
ちょうどお昼時期という事もあって名物のガレットを試すことに。
実はガレットなるもの、家の近くにあるトリスタンというカフェのメニューにあったので知りました。
ここで、何回か食べ、グランフロントでも1500円ほどのランチを食べましたが、やはり本場を体験しなければ、とレストランを探しましたが、沢山あってどこにしようか迷いましたが、レストランが林立しているメイン・ストリートから1本奥まったところにあるレストランにしました。
全ての具が入ったコンプリート・メニューとシードルで15ユーロ。
シードルはりんごの発泡酒でシャンペンより爽やかで美味しいです。
Facebookで勧められなければ、スルーしていたかもしれません。
ガレットは、まあ、美味しかったですが、私としてはグランフロントの方が口に合いました。
イタリア料理でも何でも日本の方が美味しく感じるのは、単に日本人風にアレンジしているから、というだけではないような気がします。
さすがに世界遺産に登録されただけあります。
日本よりグルメな国なんてないのだから、ヨーロッパは食べ物に関してはあまり期待していません。
中国だって、ツァーだったからかも知れませんが、バーミヤンや王将の方が美味しかったし。
ヨーロッパへの期待はただ一つ。
息を飲むようなその美しい景色ですね。
城壁散策はとても楽しかったです。
こちらの人は25度超えると泳ぎます。
それにしても、海の色が違います。
元々海賊の街だっただけあって、海賊専門店がありました。
レンヌ~乙女心をくすぐる可愛い木組みの家々
モン・サン・ミシェルからレンヌまではバスで1時間ほど。
観光案内所の横の道路にバス停があるのですぐにわかります。
バスはレンヌ駅に着き、そこから地下鉄に乗って、リプブリック駅に降り、しばらく歩くと旧市街へ辿り着き、木組みの家が連なる光景に出くわした時は感動の一言。
まるでおとぎ話の世界に迷い込んだみたいでした。
チェックインの時間までまだ間があるので観光案内所を探そうと周囲をウロウロするも一向に見つからず、後で知ったのですが、移動していたみたいです。
『地球の歩き方』の本は、最新情報の更新ができないので、ネットで確認しておくべきでした。
チェック・インは、15時だったのですが、早めに入れてもらえないかと、宿に行ってみたらドアが閉まっていて、呼び鈴を成らすとスタッフらしい人が出てきて、部屋のオーナーに電話をかけてくれ、やはり15時まで待って欲しいとのこと。
事務所が入り口から向かって左側にあり、そこに荷物を置かせてもらい、少し遅いお昼を取りに行きました。
こちらがホテルの入り口
赤い木組みの家の隣に事務所があります。
宿屋自体が国宝級❤✨
宿はレンヌ大聖堂のすぐ裏で教会などを少し冷やかし、サンドイッチで腹ごしらえをした後、再び事務所に戻ると宿のオーナーが迎えに来てくれました。
ここはいわゆる民泊で空き家を貸し出しているか、投資目的で購入しているのか、よくわかりませんが、ダイニング・キッチン、バストイレ付きのワンルームは私が今まで泊まった中で最高の部屋でした。
まず、門があってそれを明けるのに暗証番号が必要で、さらに建物に入るのにも暗証番号が要ります。
17世紀頃の古い建物でリフトはなく、重い荷物を二階まで運ばなければならない事
、バストイレがロフトにある不便さに目を瞑れば、ほぼ、完璧です。
中庭。ゲストは皆写真撮影してました。
更に部屋に入るのに二つの鍵が必要で、中に入るともう一つ鍵がプラスされ、合計3つ。客が部屋にいる間はオーナーですら入れないという万全のセキュリティーには、脱帽です。
美術館に行くのも、何をするにも中途半端な時間なので、とりあえず、旧市街をウロウロする事にしました。
木組みの家がひとかたまりに集中しているのでなく、点在しているのは、1720年の大火災でその大部分が消失してしまいました。
その時の火災から逃れた建築物群が、現在の旧市街を形づくっていますが、個性豊かな家々は絵本の世界そのものでほんと可愛らしいです。
同じ木骨組みの建築でも、アルザス地方やノルマンディー地方に多く残る家々はコロンバージュ(Colombages)、レンヌの家々はパン・ド・ボワ(Pans de bois)と呼ばれます。その違いは、より高層構造をしている事と、上階部分が道路へ張り出す持送りアーチ構造(Encorbellement)をしているところです。狭い土地を活用してより多くの居住空間を確保することが出来るのに加え、雨宿りが出来るという利点もあったようです。(地球の歩き方より抜粋)
ブルターニュ博物館では街の歴史が紹介されていますが、第二次世界時にはドイツ軍の空襲を受け、また多大な被害を受けたようです。
木組みの家でも比較的新しいのが見られますが、おそらく戦後に再建されたのでしょうね。
レンヌ大聖堂の装飾はすごく、いつも美術鑑賞感覚で入っていますが、旧市街自体が美術館みたいなものですので、是非とも気軽に散策する事をお勧めします。
シェルブールからモン・サン・ミシェルへ
船でシェルブールに入った翌日、電車乗り継いでモン・サン・ミシェルへ移動しました。
シェルブールが日曜で活動停止している事を知ってたら、そのままモン・サン・ミシェルに行くという手もありましたね。
しかし、シェルブールに行く日本人は少なく情報が圧倒的に少ないんですね。
まあ、お陰で身体を休める事ができて良かったです。
電車は10時35分パリ行きに乗り、11時17分Lisonに到着。
ここで、60分程待って12時45分のレンヌ行きに乗り替え、14時40分、Pontersonで降りるとモン・サン・ミシェル行きのバスが既に待っています。
ただ、私が乗ったルートは対岸の街に止まらず、直接モン・サン・ミシェルの島に行くので、途中で降ろしてもらいました。
このPontersonはなかなか可愛い街でホテルもあり、予算を抑えたい人はこの辺りに宿を取るのもいいでしょう。
16時前にようやく宿にチェックインして、シャトルバスに乗って島に到達。
島が近づいていく光景は感動の一言。
なぜか日の丸が掲げられていたので、何故かと思ったら宮島との姉妹都市締結10周年だそうです。
外国で日の丸を見るとうれしいですね。
温かい日本というお母さんに守られているような気になります。
なんと、こんなんまで。
今年限定なのでしょうか。
島に入ると王道のメイン・ストリートを抜け、目玉のモン・サン・ミシェル修道院へと向かいます。
この狭いメイン・ストリートに人がごった返していますが、一つ奥の通りに入ると住宅地なので空いています。
こんなところに人が住んでいるのが、驚きですが。
モン・サン・ミシェル修道院はとにかく入り組んでいて、一体どのような仕組みになっているのか、地図見てもサッパリです。
一旦、対岸に戻って、メルキュール・ホテルで、名物、ラムのロースト(プレ・サレ)を食べましたが、思ったより固かったかな。
これは、干潟の塩を含んだ草を食べた羊の肉ですが、ほんのり塩味がするんですね。
薦めてくれた人には悪いけどこれなら自分で北海道から取り寄せたラム・チョップの方が美味しかったです。
食事を終えた後、夜景を見る為に部屋で休憩してからふたたび島へ。
22時にはさすがにもう暗くなっているかなと思ったら23時でコレ。
夏のヨーロッパで夜景を見るのは不可能ですね。
夜にもなるとシャトルの本数も少なく、仕方なく歩いて戻りましたが、自転車で移動している人が多かったですね。
もう一泊あればレンタ・サイクル借りて郊外にも行けたのになあ。
アイリッシュ・フェリー体験記
ハープ合宿が終わって、ダブリンからフェリーでフランス、ノルマンディーのシェルブールに入りました。
16時発、翌日11時に着く便ですが、今回、1時間遅れで出発。
船の名前はアイルランドを代表する詩人の名をとってW,B,イエイツ号とつけられています。
前にここからウェールズに入った時は、ちゃんと地上から渡り廊下から船に入れたんですが、今回は全ての乗用車、トラックなどを積んだ後、歩行の人はシャトルバスに乗って船に入ります。
今回、夏休みという事でベッドは全て完売。基本料金にはリクライニングシートとあったので、飛行機みたいに席が決まっているのかと思いきや、案内されたのは映画館隣の普通の席。
そこで自由に寝て下さいね、って事ですね。
サンフラワーの雑魚寝部屋みたいなものでしょうか。
同じ10階におしゃべり禁止のQuiet Room、11階にも似たような席があり、どこで寝てもいいみたいです。
フェリーは子供連れでごった返していて、はたしてここは保育園か?!って感じでした。
しかし、食事が別料金なのはわかりますが、ロッカー代まで取られるとは思いませんでした。24時間10ユーロはあまりにも高すぎる。
これならダブリンから飛行機でパリに入って、そこからモン・サン・ミシェルに行ったほうが安上がりだったんじゃないかと思いますね。
10階にはレストランやバーがあり、食事はピンキリ。
私はピザとハイネケンのセット14ユーロを頼みました。
映画館は街と同じ料金を取りますが、『アラジン』や『ロケットマン』などの新作が上映されています。
23時を過ぎたあたりから、子供連れは次々に部屋に引き上げ、残るは雑魚寝組ばかり。
先ほどの喧騒が嘘みたいに静まり返ってました。
幸いにもソファーが空いていたので、そこに横になる事ができました。
日本にいても、旅行中も夜中の3時に目を覚ますので、睡眠薬を飲んで再び寝る事に。
それでも、悲しいかないつもの習慣で7時には目を覚まし、朝食を取りに行きました。
この旅行中で初めてIrish Breakfastを食べました。
船は1時間半遅れでシェルブールに到着。
一応、形ばかりのパスポート・コントロールを済ませ、ホテルに荷物を預け、駅に翌日のモン・サン・ミシェルへの行き方を聞いて、街へと繰り出しました。
しかし、日曜日で全ての店が閉まっていて、活気がないんですよね。
聞こえるのは教会の鐘の音ばかり。
かろうじて、美術館には行けましたが、他にやる事がなく、夕方にはホテルに戻って、Netflixとか観てました。
アイルランド・ロック博物館
ダブリンにあるIrish Rock Museum行ってきました。
ガイドツァーですが、アイリッシュ・ウィスキー博物館と違い、基礎知識があるので何となくついていけました。
まず、最初の部屋には様々なアーティストが愛用していたギブソンのギターが展示されていました。端の方にはなぜかマイケル・ジャクソンの記事の切り抜きがあり、アイルランドでライブをやった時の様子が記されてました。
なんか滞在中はどこぞの城を借り切ったとかなんとか。
その後はアイルランドのロック黎明期からモンスター・バンドなったU2やエンヤ、Boyzoneなどを紹介。
映像でIrish POP, Rockの歴史の解説がありますが、黎明期にはトラッドとPOP Musicとの境界線とが曖昧だったのがわかります。
大御所チーフタンズはロック・アーティストとの繋がりが特に強く、Sting、シニード・オコナーがアルバムに参加しています。
U2がコンサートの前に必ずCLANNADをかけていて、80年代、日本では一部の人間しかアイリッシュ・ドラッドなんて知らなかった時代、U2ファンは既にCLANNADを聴いていたんですね。
その後、BONOはCLANNADのアルバム『マカラ』に参加。
さらにPOP Musicの世界にその知名度を広げるのに貢献しました。
そう考えるとU2の貢献度は計り知れないと思います。
89年にENYAが出てきた時、U2ファンはあのCLANNADの末っ子、といった認識でしたが、その後、CLANNADが初来日した時は、『ENYAの兄弟』といった触れ込みでした。
ロック博物館にはU2の部屋なんてのがあってもう感動モノ。
昔のチケットやゴールド・ディスクが飾られてました。
やはり、アイルランドの誇りなんですね。
エンヤへの言及があまりないのは、まあ彼女はどちらかと言えば教会音楽に近いのでわからない事もないですが、もっとPOP色の濃いコアーズも全く触れられなくて、スチール写真すらなかったのも意外でした。
一旦、建物を出て、トラッドを扱っているクラダ・レコードの向かいのスタジオに案内されました。
そこでレコーディングしたというシン・リジィ関係のものが展示されていましたが、私はシン・リジィはよく知らないんですよね。
ボブ・ゲルドフのブームタウン・ラッツ同様、イギリスのアーティストと一緒くたにされていて、特にアイルランド色を出してなかったと思います。
やはり、U2がアイルランドのアイデンティティを全面に出した最初のアーティストではないでしょうか。
昔、アイルランド在住のビジネスウーマンが『U2はアメリカに魂売ったから』とかほざいたので、大いに反論したのですが、結局、最近のサウンドは先祖帰りをしたような感じがします。
その人はBOYZONEがお気に入りだったそうですが、今、彼ら生き残ってます?
別に動向とか追い掛けてないからわかりませんが。
最後は恒例の土産物屋にたどり着くわけですが、そこにはなんとU2の蝋人形が置かれていて、しっかり記念撮影。
店内には私の大好きなSMITHSが流れていますが、実はモリッシーはアイルランド系らしいです。
BEATLESの展示物もありますが、彼らがアイルランド移民の子なのは有名な話。
リバプールはアイルランド移民が作った港町ですからね。
ほんとは、マグカップとか買いたかったんですが、すぐに帰るのならともかく、先が長いので、ギターのキーケースとU2のマグネットだけ買いました。
ハープ合宿無事終了
ハープ合宿、無事終了しました。
クラス分けの為のレベル計ってもらうのですが、日本では上級者でもこちらではどうあがいても、中の上といったところでしょうか。
私が上級者というわけではないですよ。
レッスンはグループで行われますが、まず、楽譜がない。おまけにドレミファソラシドをCDEFGABCで表現するので、とっさに頭で変換できないんですね。
その上、言葉の壁もあるので、普段弾いてる曲よりはるかに簡単なのについて行けないんです。
レッスンのテンポが日本とは段違い。
だから、こちらの人はレベルが高いんですね。
カナダで先生をやっているというハープ歴20年のカナダ人もテンポが早くてついていけないと言ってました。
特に私が無能というわけではないと安心しました。
そもそも、普段はアイリッシュの曲を覚えるのに1週間、長い曲なら数ヶ月かけている私には未知の世界です。
アジア人は日本人だけ4名ですが、ほぼ似たようなクラスに入れられます。
私達はショボい教室でしたが、人数によってこんな素敵な部屋があてがわれます。
それでも、天気のいい日はこんな中庭でレッスンしました。
午後は様々なレクチャーがあったのですが、出席者は参加者のほぼ半分。
なんか、ハープ・スクールの小学生だけは強制参加みたいでした。
アカデミックな事を英語でやられてもサッパリ。
翌日から午後は部屋で練習してました。
でも、毎日一流のコンサートが行われるのは良かったです。
最終日には参加者全員がホールに集まって課題曲を披露しますが、たった5日間の練習で発表会とはもう日本では考えられない世界です。
でも、とてもいい刺激になり、モチベーション上がりましたね。
ロストバゲッジ
28日、アイルランドのハープ合宿に参加するため、関空からダブリンに向け出発しました。
パリ経由ですが一応ダブリンで荷物を受け取れるように手配しました。
アドバイスによって、完璧な梱包をしたのですが、ついに私が恐れていた事が!
ダブリンではついにハープが出て来なかったのです。
梱包の様子
空港にて
どうやらパリで積み残したらしいとの事。
こんな事初めてですが、結構よくある事らしいです。
ロストバゲッジで有名なパキスタン航空でも無事荷物届いたのに!
南米から来たらしい少年サッカーチームらしき子らも二人荷物が届かなかったらしいです。
追加料金13000円も払ったのにこれはないだろうと。
どんなに無能やねん!パリの職員!
とりあえず、見つかったらハープ・フェスの会場に送ってもらいように頼んでますが、出てきたらラッキーくらいに思っています。
あんな目立つもの盗むはずないだろうから、どこかにあるんでしょうね。
不幸中の幸いでスーツケースは出てきたので不自由してませんが、スーツケース出て来なかった場合、当座の服やら買わないといけないから更に不便でしょうね。
ホテルの近くがダブリン随一の繁華街、テンプル・バーなので、ヤケで1時間ほどライブハウスで弾けてきました。Coldplayやってたわ。
治安はいいけど、酔っ払いに絡まれるから困ります😅
最終日、また行こ。