私の体は音楽と映画と旅でできている

タイトルのまんまのブログ。中年主婦が映画、音楽、旅行について思いつくままに書いてます。

【映画評】私が、生きる肌

『私が、生きる肌』 2011年
監督:ペドロ・アルモドバル
主演:アントニオ・バンデラス


【アルモドバル作品にモラルと人権なし😅】

前に劇場で観たのですが、この度DVDを購入して再見しました。
特典として大学での講演の模様が収録されていますが、本人はいたって人当たりのい紳士的な方です。
アントニオ・バンデラスへの想いも語ってくれましたが、ハリウッドに彼が行ってしまった時は息子を送り出す母親の心境だったと行ってます。
父ではなく、母なのが彼らしいですね。

そのバンデラスとアルモドバルが22年ぶりに組んだのがこの映画で完成度はピカ一です。

世界的な形成外科医ロベル・レガルが暮らすトレドの大邸宅の一室に、ベラと名乗る美しい女性が、レガル家で古くから働く初老の家政婦マリリアの監視の下、軟禁されている。

 彼女は布を使った造形物の製作に余念がなく、高級な服を与えてもすぐに破いてしまい、その端切れを造形物に使ってしまう。監禁状態でいる事の精神の平穏を保つ為だろうか、ヨガに取り組んでもいる。  
それでも、時折耐えられなくなり、発作的に自殺を図るが死にきれずにいる。    

ベラはロベルの妻ガルに瓜二つだが、実はガルは12年前に交通事故で全身火傷を負い、非業の死を遂げていた。
その後、ロベルは妻を救えたかも知れない「完璧な肌」を作り出すことに執念を燃やし、自らの開発した人工皮膚を使って、ベラを実験台にして彼女を亡き妻の姿に作り変えていた。  

果たして彼女は一体誰なのか。その正体は想像を絶するものだった。

これ以上書くとネタバレになりますが、要するに彼女は復讐の対象だったわけです。 

この映画のトンデモ度はやはり、ベラの正体に尽きますね。
復讐方法には、殺すよりも「人間としての尊厳を奪う」事で相手に死より辛い苦しみを与えるという方法もあるわけですが、彼にとっては生体実験にもなるし、一石二鳥だったのでしょう。  

わざわざ、浮気で自分を苦しめた妻の顔にするというのが理解できなかったのですが、それだけ、妻を愛していて、生きている彼女の姿を見ていたかったのかもしれないし、自分を苦しめた妻の顔にする事で彼女にも罰を与えた気分になりたかったのかもしれません。
そうする事で復讐の対象と妻両方への二重の復讐を果たすという屈折した感情が働いたのでしょうが、逆恨み以外の何物でもないんですよね。

彼女は精神の均衡を保つため、壁に日付を書き、ヨガによる瞑想で精神の自由を得るが、そんな彼女の様子をモニター越しで見つめるロベルは自分の作り上げた芸術作品を眺めて悦に入ってるように見えるし、時折彼女の顔をズームにするあたりは妻への未練みたいなものを感じさせます。
 
天才の考える事は私たち常人のはるか先を行っているということでしょうが、彼のこの技術は素晴らしく、人類への貢献になっただろうと思うと実験データとか未来に生かせないのかと現実的な事を考えてしまいました。
 
美しい映像で変態監禁物語を芸術にまで高める手法はさすがアルモドバルといったところでしょう。  
とにかく、ベラ役のエレナ・アナヤの神秘的な美しさに脱帽です。   

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