私の体は音楽と映画と旅でできている

タイトルのまんまのブログ。中年主婦が映画、音楽、旅行について思いつくままに書いてます。

【映画評】グリーンブック

今年のアカデミー作品賞『グリーンブック』観てきました。

いつもアカデミー賞の作品賞が発表されるごとに地味な選択に思わず『何それ?』という言葉が出てしまうのですが、今回は誰もが納得してしまう作品が選ばれたと思います。

ボヘミアン・ラプソディ』は逃しましたが、あのスキャンダルのさなかにラミ・マレックが主演男優賞を受賞したのは快挙ですね。

しかし、この作品のヴィゴ・モーテンセンもなかなか頑張ってましたね。

ラミがいかなければおそらく受賞していたでしょう。


f:id:kiaralovesharp:20190308172802j:image

無学だが腕っぷしの強い用心棒のトニーはカーネギーホールに住む黒人ピアニストの運転手兼ボディーガードとして、アメリカの深南部ツァーに同行することになる。
ホワイトハウスでも演奏した事もある天才ピアニストがなぜ、差別の激しい南部での演奏旅行をする事になったのか。

グリーンブックというのは、黒人専用ガイドブックと言えば聞こえがいいが、黒人OKのホテルやレストランなどを紹介した小冊子で言い換えれば、これ以外の場所には黒人が入れないという事になる。


f:id:kiaralovesharp:20190309175910j:image

もっとも、地域ごとの住み分けでうまくやっているように、差別意識の激しい地域では、不要な争いを避ける為の役割もあったのだとは思う。
それでも差別から来るものであるのは明らかだ。
黒人専用のホテルやトイレが粗末だったり、悪意としか思えない。
トニーは今まで無関心だった自国の負の部分を見せつけられる事で、次第に彼の意識に変化が生じてくる。

生まれも育ちも価値観も違うちぐはぐコンビによるロード・ムービーならではのお約束な面白さも盛り沢山で、こうなって欲しいと思う展開が用意されていて安心感がある。
久々にベタだけど希望の持てる話で爽やかな気分になれるんですよね。

深刻なテーマなのに、時おりユーモアも盛り込み、決して暗い気分にならないのは、『メリーに首ったけ』『愛しのローズマリー』のピーター・フェアリーだからでしょう。

ヴィゴは逃しましたが、ドン役のマシャーラ・アリは見事に助演男優賞を受賞しました。

ところで、この映画にも批判が起きていると聞いて驚きました。
スパイク・リー監督が『白人目線』『白人を救世主として描いている』として、アカデミー賞授賞式で席を立ってしまったのだ。
からしたらひがみか言いがかりにしか思えないんですが、そういえば、昔『遠い夜明け』でもアパルトヘイトと闘う良心的な白人を描いて、白人を持ち上げているという批判が起きました。
しかし、そういう事に配慮しすぎると黒人映画は黒人しか撮ることが許されなくなってしまう。
『グリーンブック』は、とても口当たりのいい映画で希望が見いだせる。

アメリカ先住民を悪役として描いた『駅馬車』の頃とは雲泥の差だ。

ポリティカル・コレクトレスも行きすぎると言葉狩りになってしまい、映画作りも萎縮してしまうので、もう少しおおらかに見てもらいたいものです。

U2巡礼の旅

2001年にアイルランドU2に関係ある場所を訪れた時の文章を転載します。
北アイルランドに関してはなにぶん、古い情報ですので今はどうなっているのかわかりません。
あの頃は、まだ少し政治的に殺伐としてましたが、今は外国人労働者が増えてきた事もあって、ヘイト・クライムが問題になっているようです。


ダブリンは3回目ということもあって3日ほどしか予定を立てなかったのだが、最初の2日間は 1日ツァーに参加していたため、ようやく3日目でウィンドミルレイン・スタジオに行くことができた。

後で知ったところによると、スタジオは私の泊まっていたホテルから歩いて行ける距離にあり、 こんなことなら夕方にでも無理して行けばよかったと少し後悔。

とにかく、2時にはアスロン行きのバスに乗らなければならないので、朝一番に荷物をバス・ステ-ションに預け、ウィンド ミルレイン・スタジオに向かう。

とにかく時間がないのでタクシーに連れていってもらおうかと 思ったのだが、なかなか捕まらず、せっかく捕まえても方向が違うからと乗車拒否されたり、かと言ってバスに乗るのも面倒くさい、というわけで、ウロウロ歩いていたら、何時の間にかスタジオ近くに来てしまい、人に尋ねつつ、地図の示す方向に歩いていくと自然に着いてしまった。

後で気付いたのだが、オコンネル橋から東に向かってリフィ川に沿って 歩くとわかりやすい。私は帰りはこのコースで戻ったのだが、対岸からは税関も眺められるという格好の散歩コースとなっている。

スタジオは住宅街の中にポツンと建っており、辺りにはほとんど人がいない。
壁がファンの夥しいラクガキで埋め尽くされている。


f:id:kiaralovesharp:20190305220938j:image

スタジオの中に入れるはずもなく何枚か 写真を撮っただけですぐに戻ってきた。

ボノのホテル、クレランスにも行きたかったのだが、時間がなくて断念。せめて、ロビーに 入りたかった。そして、土産物屋を何軒か冷やかした後、バスでアスロンへ。

アスロンはダブリンとゴールウェイの丁度中間に位置し、ここに「The Unforgettable Fire」 のジャケットに使用されたモイドラム城がある。 日曜でインフォメーションが閉まっていたため、B&Bを紹介してもらえないことに気付く。

仕方なく、B&Bを一軒一軒ノックするが、片端から断られて気落ちしていたところ、 パブの上がB&BになっているいわゆるINNを紹介してもらい、そこに泊まることになる。 一泊25£(約4000円)。パブが下だといつでもビールが飲めるし、酔っ払っても すぐに部屋に戻れるからありがたい。

夜には生演奏もやっていて、ケルト・ミュージックを 堪能した。アコーディオン、ボーラン、ティン・ホイッスルという たった3人編成のバンドながらその表現力にはただただ舌を巻くばかりだ。
まさにアイリッシュは音楽と一心同体だと言っても過言ではないだろう。
翌日、インフォメーションでモイドラム城の位置を確認。インフォメーションの女性に 「U2ファンですか?」と尋ねられる。
やはり訪れる巡礼者が後を絶たないのだろう。 この城は街から数キロ離れており、タクシーしかアクセス方法がない。

タクシーの運転手さんと交渉して往復で8ポンドで連れていってもらう。写真撮影している間、 待っていてもらうことに。タクシーは国道を横道にそれ、細い道を入っていく。

やがて、モイドラム城が姿を現わした。鬱蒼と蔦の絡まるその威容は何とも形容しがたい 不思議な雰囲気を醸し出している。私はこの城の履歴は何も知らないが、「アイルランドの 失われた大邸宅」という本に載っており、この廃虚はU2に何らかのインスピレーションを 与えたのだろう。

 

焔~スーパー・デラックス・エディション(初回生産限定盤)(DVD付)

焔~スーパー・デラックス・エディション(初回生産限定盤)(DVD付)

 

彼らはシカゴで原爆の移動絵画展に出会い、ひどくショックを受けた。 その移動絵画展は「The Unforgettable Fire」と名付けられており、彼らは4枚目のアルバムに そのタイトルをつけた。

運転手さんは「自分は長い間タクシーの運転手をしているが、ここに来るのは初めてだ」 と言う。 私有地になっているらしく柵に囲まれているが、その粗末な入り口の戸には 針金を巻きつけてあるだけで、いとも簡単に外れてしまい、運転手さんが中に入れてくれる。
ジャケットはセピア色だったが、実際にこの目で見ると目にも鮮やかな緑が壁上部を覆っていて、 時に忘れ去られたようなこの朽ち果てた城にはほんとにケルトの精が住みついてもおかしくないと 思わせる。

様々な角度で写真を撮った後、街に戻る。ほんとは30分くらいそこにいて後で運転手さんに 迎えに来てもらうという選択肢もあったのだが、寒かったので写真撮影が終わると5分ほどで 早々に引き上げて来た。


f:id:kiaralovesharp:20190305220904j:image

IRAはコンサートなどでことある毎に彼らを批判するU2を煙たがり、一時暗殺リストの トップに載せていた。その緊張感がピークに達した80年代後半、銃弾がいつ飛んでくるかわからない緊迫状態の会場でボノはコンサートを敢行。真剣に命の危機を感じていたそうだが、コンサートを中止すれば脅迫に屈したことになる。彼は敗北しないためにも 自らの命を危険に晒してでもコンサートを敢行したのだ。

そのIRAの本拠地はベルファストにある。ちなみにベルファストはあのタイタニック号が 製造された都市としても有名である。 ベルファストに入ると途端に郵便局の看板が赤くなり(共和国では緑)、店などもMARKS&SPENSER など英国でお馴染みのものが多くなり、何と言っても町中いたるところにユニオン・ジャックが 高々と掲げられ、ここが英国領であることを思い知らされる。
その差は共和国から入って来た者ならば一目瞭然で、これはちょっとしたカルチャー・ショックだった。 ベルファストのバス・ステーションには爆弾テロ防止のために、コインロッカーがない。 そういえば、この後に訪れたロンドンの地下鉄にもゴミ箱がなかったっけ。
しかし、街自体は非常に治安がよく、整然としたその作りはロンドンよりもはるかに清潔と言えるかもしれない。シティ・ホール以外特に見るべき観光名所はないが、南と北との差をこれほど実感させられる都市もなく、そういう点では一見の価値があると言えよう。
バス・ステーションはダブリンやロンドンより遥かに近代的で清潔、ショッピング・モールや 高級ホテルEUROPEに繋がっている。
兵士の姿も見当たらず、装甲車も2回しか見なかったが、おそらく10年前に来たのならもっと 印象が違っただろう。 翌日は、ジャイアンツ・ゴーズウェイに行ったのだが、U2と特に関係がないのでここでは割愛。

カソリック地区を回るタクシー・ツァーについてはアイルランドのMLで教えてもらい、その 存在を知った。 ラッキーにも滞在しているホテルにこのチラシが置いてあったが、小さいチラシなのでほとんど の人が見逃してしまうかもしれない。

ベルファスト滞在の人でも知らないと言っていた位だ。 観光案内所に行ってこのツァーについて尋ねると、丁度ここから出ているというので ツァー開始時間まで少し街をウロウロ。共和国ではあんなにあったアイルランド系雑貨の土産物は姿を消し、1軒だけ申し訳程度にアイリッシュ・リネンの店があるくらいだ。 12:00ツァー開始。タクシー・ツァーは最小催行人員3人で一人7£。

約1時間半ほどでカソリック 地区とその他の地域を回るツァーだ。Shankill RoadとFalls Roadがカソリック地区に当るわけだが、 観光案内所から5分も走れば着いてしまうほど、繁華街に近いというのに、カソリック地区に 入るなり雑然とした雰囲気になり、清潔な繁華街との差をまざまざと見せつけられる。
ただ、ガイドブックには触らぬ神に祟りなしと書かれていたが、いかにも観光客然とした お上りさん丸出しの格好ならばともかく、バスで入って普通に歩いている分には特に問題はないと思う。
これもやはり和平の賜物であってやはり10年前はもっと物騒な感じだったそうだ。

至るところで、IRAの宣伝としか思えない壁絵を目にするが、そこの住人は自分達の住む家の壁にこういう絵が描かれていて平気なのだろうかという素朴な疑問が湧いてくる。
私なら賃貸で あっても絶対嫌だ。これではこの家の住民がIRAのシンパだと思われても仕方がないだろう。 テロ集団と言われているIRAだが、彼らに言わせると数百年もの迫害の歴史の中でほんの短い期間抵抗しているに過ぎないという。言い分はわかるが、私はやはりテロを憎む。


f:id:kiaralovesharp:20190305220819j:image

その後、平和の壁へ。「平和の壁」とは随分聞こえがいいが、要するにベルリンの壁のように プロテスタントカソリックを隔てたもので、プロテスタントはあくまで自分達は「英国人」だと 主張。

一方、カソリック系住民はここはアイルランドの土地なのだから、共和国に戻すべきと 訴える。双方の意識の違いが悲劇を引き起こしている。 壁絵の中には80年代ボビー・サンズなどハンガー・ストライキで命を落したIRAの闘士の 壁絵が誇らしげにその姿を見せている。これもやはりカソリック地区ならではだろう。


f:id:kiaralovesharp:20190305220734j:image

街のあちこちには共和国やIRAの旗が掲げられ、彼らはやはり統一を願ってやまないのだと 思い知らされ、胸が痛んだ。IRAの政治組織シン・フェイン党の本部の前も通ったが、さすがに その前では降ろしてくれなかったが、何やら党の記念グッズまで売っていたようだ。

翌日、私はフライトでベルファストからマンチェスターに向かった。 驚いたのは、通常X線の検査を受けるのは搭乗する人物だけだが、ここでは空港に入る前から 厳重な手荷物検査があったので驚いた。やはりテロを警戒してのことだろう。
しかし、空港には同胞であるカソリックも乗っているかもしれないし、他の国の人間も大勢いる。 彼らを巻き添えにしでもすれば、誰もIRAを支持しないだろう。 U2は無関係な者の命まで奪ってしまうテロを非難していたのだ。

 

【書評】生きながら火に焼かれて

私は80年代、U2を通じてアムネスティの存在を知り、天安門事件が起こった時には中国政府に抗議のハガキを送るというアクションに参加したものでした。残念ながら経済の自由化とは裏腹に中国は国民に対して締め付けがより強くなり、人権に関しては後退してるとしか思えません。

ウイグルでは、イスラム教徒らしい生活を禁じられているというから酷いものです。
一方でイスラムの教えから逸脱すれば逮捕、下手すれば殺される社会もいまだ存在します。

私は田嶋陽子のように「何でも男が悪い」と決め付けるような過激な女性解放運動は苦手ですが、女性というだけで基本的人権を奪われたり、肉体的精神的に傷つけられる事が当たり前とされている社会に対しては猛烈に抗議します。

アフリカの女性性器切除<FGM>や、持参金を巡る争いの果て、花嫁が殺されてしまう事件が後を絶たないインド。 そして、恋をして性交渉をもってしまったというだけで、家族に焼き殺される一部のイスラム社会。
これらが伝統だから仕方がないとは日本人のほとんど誰もが思わないでしょう。 こういう事を伝統の一言で片付けてしまっていいはずがありません。悪い伝統、というか因習はどんどん壊していいんです。

イランではこの情報化社会で女性達は、イスラム革命後の抑圧からの反動から抵抗し始め、女性の自立や自由をテーマにした映画が沢山作られています。
恥じらいとか貞操観念という言葉が死語となりつつあり、援助交際と名付けられた売春が横行する日本の性のモラルの低下も嘆かわしいばかりですが、婚前交渉や婚外交渉をしただけで殺される社会は行き過ぎです。
それも女性ばかりが罰されるのです。厳格なイスラム社会では淫らな女性はある程度批判されても仕方がないとは思いますが、せいぜい糾弾に留めるべきであり、死刑に値するほどの罪だとは思えません。

異文化は尊重せねばなりませんが、それは人間として最低限度の人権をわきまえたうえでのことと思います。
独裁者フセインは、色々問題のある強権的独裁者でしたが、イスラム教のしがらみから解放されていただけあって女性を尊重する人で(あくまで自分に逆らわない事が前提ですが)『名誉の殺人』は国家にとって不名誉な事だと言ってのけました。
彼はアルカイダとは何の関係もないどころか、むしろ原理主義嫌いで彼のいる間はアルカイダを完全に排除していたわけです。 アメリカは西洋にとって、あるいは女性にとって都合のいい人物を排除してしまったわけです。 もしも、イラク原理主義政権が誕生としたとしたらその最大の功績はブッシュということになりますね。

 

生きながら火に焼かれて

生きながら火に焼かれて

 

 

『生きながら火に焼かれて』は著者が受けたイスラム戒律による徹底した女性差別と掟破りに対する厳しい処刑体験を回想談として綴ったもの。 著者が育った地域(トランスヨルダンと思われる)は徹底した男尊女卑の世界で、息子が跡継ぎとして学校教育を受ける等大事にされるのに対し、娘は家畜同然として扱われます。

学校にも行けず、奴隷同然に毎日家事や家畜の世話に明け暮れ、恋愛など無縁のまま親の決めた男と結婚し、家にいる時は父親に、そして結婚後は夫に服従を強いられます。

著者は、そういう環境である若者に恋をし、性交渉を持ってしまいます。 たった一度の交渉で妊娠したスアドは「家の恥」として、親の了承の下、義理の兄に体に火をつけられます。同姓の母親さえそれが当然の事と思っています。味方は姉だけ。

奇跡的に一命をとりとめた彼女はヨーロッパの人権団体に救われ、スイスへと渡ります。そこで仕事を見つけ、ほんとに彼女を理解してくれる優しい男性と出会い結婚します。 初恋の男との間に生まれた息子は養子に出さざるを得なかったのですが、夫の間に娘をもうけ、幸せな日々を送る彼女を苦しめるのは体に残る火傷の跡。

この跡を見るたびに、過去の記憶が蘇ってきて彼女を苦しめます。そこで彼女を助けた団体が自分の体験を本に綴って世界の人にこのような非人道的な事がある事を知ってもらってはどうかと 持ちかけます。

それは彼女にとって忘れてしまいたい過去と真正面から向き合う事になり、辛いことでしたが、この本で書かれているような事実があることを、多くの方に知ってもらう事で、自分のような目に合う女性を世界からなくす一助になればと思い、決意します。

このような事例に対して世の中の認知度が低いのは、家庭内の事として警察も政府もほぼ黙認状態だったからですが、家族による「名誉の殺人」から奇跡的に逃れたスアドのような女性が声を上げ始めた事で世界中が知るところとなり、政府も放っておけなくなりました。

このような理不尽な暴力から女性を解き放つために、外部からの圧力もある程度は必要で、国連などの議題に挙げ、言論で訴えていくべきでしょう。

 

【映画で歴史をお勉強】至高の青春映画『ブラザー・サン・シスター・ムーン』

聖地アッシジは私が世界で最も愛する街の一つですが、昔、イタリア関係の映画本を出したくて、アッシジについて書いた駄文を転載します。
長いので2回に分けてUPします。

古代からイタリアは城塞としての役割も兼ねて丘の上に街を作った。
不便な位置にあるため、開発から取り残されたが、それが幸いして昔日の面影を今に留め、詩情豊かな雰囲気を醸し出している。

時が止まったような小さな町々はただでさえどこか浮世離れしているが、このアッシジは聖フランチェスコゆかりの聖地という先入観も手伝ってか、神聖な気持ちにさせられる。

f:id:kiaralovesharp:20190228212354j:plain

聖地でありながら、異教徒を排除しようといったような雰囲気はなく、また三大宗教の聖地エルサレムのような宗教的緊張感も感じさせない。薔薇色のレンガで統一された街は中世独特の暗さはなく、どこか包み込むように温かさを感じさせる。

この街を世界的に知らしめているのは聖フランチェスコの存在に他ならない。
もし、この街が聖フランチェスコを送り出さなければ、どれだけ歴史的価値がある美しい街であろうとウンブリア地方の街の一つとして埋もれてしまったに違いない。

生まれて初めて、アッシジの街に足を踏み入れた瞬間、そのあまりの美しさに溜息が漏れてしまった。
そこはまさに別世界であり、タイム・トンネルをくぐり抜けてきたように一気に中世の時代に引き戻されてしまう。路地裏などを散策していると今にもフランチェスコとその仲間が托鉢をしに現れそうだ。

f:id:kiaralovesharp:20190228213135j:plain

 イギリスの村をご存知の方なら、ラコックやブロードウェイといった小さな村々を思い浮かべて欲しい。季節の花々に囲まれた石積みの小さな家々が建ち並ぶこれらの村をもっと大きくしたのがアッシジだと思っていただければいいだろう。
地上の楽園とはこのような街の事を言うのではないだろうか。

扉や窓を取り替えて、屋根の上の邪魔なアンテナなど現代的なものを取り去ればそのまま中世の映画を撮影することができるだろう。ここは時を凍結させているのだ。

 

ブラザー・サン シスター・ムーン [DVD]

ブラザー・サン シスター・ムーン [DVD]

 

 

f:id:kiaralovesharp:20190228212125j:plain

 私をこのアッシジに惹きつけのは、中学生の頃に近所の教会の映画上映会で観た『ブラザー・サン・シスター・ムーン』(1972)だった。
はっきり言って当時の私はキリスト教信者でもなければ、キリスト教そのものにも無知で、ただ単に映画が無料で見れるからという単純な動機で見に行ったに過ぎなかったが、映画に描かれている歴史的背景やフランチェスコという聖人について何も知らなかった当時でも、画面中のイタリアの田舎の美しい自然、ドノバンの音楽、フランチェスコの純粋性に打たれたのを覚えている。

 監督はイタリアの名匠フランコ・ゼッフィレリ。彼が68年に発表した『ロミオとジュリエット』では16歳のオリビア・ハッセー、17歳のレナード・ホワイティングという若手新人俳優を起用し、歴史上最も若いロミオとジュリエットを通して、まるで現代の若者の恋を描くかのように瑞々しいタッチでシェイクスピアの古典を映像化して世間をあっと驚かせたものだった。

そのゼッフィレリ監督が自国の聖人フランチェスコを取り上げた名作が『ブラザー・サン・シスター・ムーン』であり、放蕩息子だった彼がキリストの精神に目覚め、ローマ教皇の福音を得るまでを、描いた青春映画で、偉大な聖人の伝記映画というよりも、青春映画として昇華されている事で、宗教映画にありがちな説教臭さを払拭し、多くの人々の共感を呼んだ。

ゼッフィレリは「美しい自然の中に愛や自由や平和を見出し、人間らしく生きたい」と願うフランチェスコの精神の目覚めと自然に対する愛を通して、現代に生きる全ての人々に愛の尊さを訴えた自然賛歌、人間賛歌となっている。
 
また、72年当時、アメリカのベトナム戦争は泥沼化していた。反戦運動が世界中に飛び火し、ヒッピームーブメントが起こったが、当時の人たちは彼らの事をフラワー・チルドレンと呼んだ。
一方、映画のフランチェスコは十字軍の遠征で傷つき、懐かしい故郷の自然と接している内に、神の声を聞き、全てを捨てて清貧に生きるようになる。そんな彼に同調する若者達が集まってきてグループを作り、貧しい人の為に尽くそうとする。
監督は「鳥のように自由に純粋に生きたい」と願う彼らをフラワー・チルドレンに重ね合わせたいという。

ちなみに音楽を担当したドノバンは典型的なヒッピー・フォーク・シンガーだったそうだ。
 政府と社会に背を向け、大人になる事を拒否し、戦争や体制への怒りを麻薬とセックスで紛らそうとしたヒッピーと信仰に根ざした慈善に生きるフランチェスコ達とを混同するのはいささか失礼ではないかという気がしないでもないが、時代が映画に与える影響を考えると興味深いものがある。

 それにしても、よくこのような斬新な宗教映画がフランチェスコ教会で受け入れられたものだと感心することしきりである。中には事実と違うと糾弾する者もいただろう。しかし、映画は伝記ではない。歴史上の人物を描いても、事実の間にはどうしても食い違いが出てくるし、単に事実を辿るだけでは映画は退屈なものになってしまう。かと言って聖人を描くからにはあまり歪曲はできないし、その境界が難しいわけだが、この映画は史実と創作がバランス良く配合されていたと思う。 
 
聖フランチェスコは1181年、アッシジの裕福な商人ピエトロ・ベルナルドネの息子として生まれた。本名をフランチェスコ・ベルナルドネといい、母親はフランスの貴族出身であると伝えられている。

 教育熱心な父親はフランチェスコを教会付属の学校に通わせたが、彼はここで多くの貴族や上流階級の子弟の友人ができた。

朗らかで優しい彼は誰からも好かれ、実際この時の友人達が最初の弟子となったわけだが、彼の教義もさることながら本人の人柄によるものが大きいと思う。よほど魅力的な青年だったのだろうが、映画では最初フランチェスコをバカにしていた旧友達が次々と彼に感化されていく過程が感動的に描かれている。

瑞々しく清らかなグレアム・フォークナーが演じるからこそ説得力があり、ある神父さんも彼が一番本物のフランチェスコのイメージに近いと言っていたし、多くの人がフランチェスコと言えばこの映画を思い浮かべるそうだ。

 父の財力にものを言わせて、友人達と放蕩三昧の生活を送っていた彼に転機が訪れたのはペルージアとの戦争である。

 当時のイタリアを支配していたのは神聖ローマ帝国である。ローマ帝国というとどうしてもあの歴史上類を見ない発展を遂げたローマ帝国を思い出すが、そちらとはほとんど無関係である。ローマ帝国滅亡後、勢力を強めていたゲルマン民族が様々な勢力がかつてのローマの領土に部族国家を建設していったが、フランク王国カール大帝西ローマ帝国の皇帝を宣言した。これが神聖ローマ帝国の始まりであるが、それは古典古代の文化とキリスト教にゲルマン精神が融合したもので、ローマ帝国とは趣を事にしている。

ローマ教皇と深い繋がりのあるカール大帝は、次第にヨーロッパの広範囲を支配下に置いていく。

 その時代、商人と職人を中心とした支配階級が新勢力として台頭し、その財にものを言わせて、政治的な発言力を徐々に強めていった。彼らは従来の封建体制に反発し、独立と自治を求めて幾度となく帝国と衝突した。

そして、1198年、アッシジはついに神聖ローマ帝国の力の及ばない教皇領に支配権を渡す事になった。フランチェスコ一七歳の時である。アッシジから追い出された帝国配下の貴族達はやがて、アッシジと敵対関係にあったペルージャに亡命。
政権奪回を図る彼らはペルージャを後ろ盾にアッシジに宣戦布告する。それまで親の財力を背景に、思うままに青春を謳歌していたフランチェスコも防衛のために戦争に参加せざるを得なくなる。

元々騎士に憧れていた事もあって勇敢に闘うが、やがてペルージャの捕虜となって1年も獄中に繋がれる事となる。
 父が賠償金を払ってようやく捕虜生活から解放されるが、元々、あまり頑健でなかった彼はこの過酷な捕虜生活ですっかり健康を害してしまい、帰国してからしばらく病床に伏してしまった。

ようやく起き上がれるようになった彼を慰めたのは故郷ウンブリアの美しい自然であったことは想像に難くない。
 ウンブリアは陰を意味するラテン語のウンブラを語源とする、緑豊かな起伏に富んだ美しい地方である。

5月になると映画のようにポピーの花が一面に咲き乱れる光景を見る事ができるという。

私が行った時はまだ4月だったので、残念ながらポピーの花は見られなかったが、街の外れにある城塞の塔から眺めるアッシジ周囲の光景はさながら緑の絨毯を敷き詰めたようだった。フランチェスコを育んだのはこのウンブリアの自然であり、森の中で陽の光を浴び、花や蝶と戯れているうちに彼の心の中に変化が起こった。おそらく、この時に戦争に対する疑問、世の中の矛盾に気付き、葛藤していたのだろう。

 映画では戦争から戻って来るところから始まる。病気で生死の境をさ迷った後、ようやく、戦争の悪夢からから目覚めたフランチェスコが鳥の声に誘われ、街の人が見守る中、屋根の上に登って鳥を追いかけるシーンはあまりにも印象的だった。

他の人から見れば気が狂ったとしか思えなかっただろう。彼の心は何かを求めてさ迷うようになるが、町外れにある朽ち果てた教会を見て以来、ある衝動に囚われるようになる。
 
それが何かわからぬままに今度は南イタリアローマ教皇庁神聖ローマ帝国との軍事衝突が起こり、彼は再び戦地へと赴くこととなる。彼はスポレートに向かうが、そこで不思議な夢を見る。その内面の声は『お前のなすべきことをせよ』と語りかけていた。

やがて、アッシジに戻った彼は荒れ果てたサン・ダミアーノ教会の十字架の前に立つと今度は『教会を建て直せ』という言葉を聞き、家から商売道具である織物を持ち出して、それを金に変え、教会の修復資金に当てようとする。

 家族とフランチェスコの葛藤は映画では以下のように様に描かれる。フランチェスコは初めて家の作業所に入っていく。その日も差さない穴倉のような工場では、労働者たちが重労働にあえいでいる。フランチェスコはその中の一人を外に出して、休息を取らせ、それだけにとどまらず家の織物を窓から投げ出すのである。

 父親にすれば、息子の気が触れたとしか思えなかっただろう。彼は街の司祭にそれを訴えるが、フランチェスコは持ち出したもの全てを『リトル・ブッダ』でもシッダルーダ王子が妻子を捨てて、信仰の入っていくシーンがあったが、家族にとってその辛さは想像の域をはるかに越えていただろう。映画では家を捨てたフランチェスコが両親の家の中庭に入っていくシーンがあったが、彼の内面の辛さを象徴しているようでもあった。たとえ、神と貧しい人のために生きるという選択が崇高でるとしても、それが親を悲しませるとしたら、彼の教義は理解できても全面的に賛同できないのは、私が俗物だからだろうか。
このような経緯を経て、信仰に目覚めたフランチェスコと<貧しき兄弟会>はローマに赴き、当時のローマ教皇イノセント三世の謁見を求め、その教義を認められる。映画が描いているのはここまでだ。彼は行く先々で奇跡を起こし、やがて44歳でその生涯を閉じる。

 映画の中では、雨の中、街の人間にバカにされながら托鉢するフランチェスコにキアラがパンを差し出した後、フランチェスコが空を見上げると雲間から太陽が覗いていた。

雨宿りがてら店をひやかしながら元来た道を戻って行くと、そのうち映画のように、雨が止んで雲間から太陽が覗いていて、映画を思い出さずにはいられず、涙が溢れてきた。

 標高1000メートルにあるアッシジの太陽はローマのように容赦なく照りつけることもなく、あくまで暖かく慈愛に満ちていて、この太陽に照らされているとフランチェスコの愛に抱きしめられているような錯覚に陥ってしまう。フランチェスコが「太陽は兄弟、月は姉妹」と歌いたくなる気持ちがわかるような気がした。

【My Fevorite artist】Coldplay

私の趣味の一つが音楽ですが、一人旅をする時、ウォーキングをする時にはウォークマンが欠かせません。
なんと言っても歩きながら聴けるのがいい。
ウォーキングも犬か音楽と一緒でないと、とてもでないけど何もなしに1時間も歩けません。
風光明媚なところを歩くのなら楽しいでしょうが、変わり映えしない近所、少々ルートを変えたところで面白くもありません。
友人が一緒ならまた別なんでしょうが、引っ越したばかりでそんな相手もいないし、基本ウォーキングは一人でするものと思っています。
そんな変化に乏しいウォーキングもウォークマンがあれば、1時間なんてあっという間に過ぎてしまいます。
昔のウォークマンは片面30分でひっくり返さないといけなかったけど、今のデジタルプレイヤーは1000曲以上余裕ではいりますからね。
昔みたいにテープを持ち歩かずに済むから助かります。
おまけにボディーも小さい。
これでもまだ大きい方でipod miniなんてこれの半分以下の大きさなんですね。
最初はipodユーザーだったんですが、ウォークマンの方が音に深みがあるような気がして、切り替えました。
モバイルwifiがないので、Amazon musicは基本家で聴いてますが、やはりあまり音は良くないですね。やはりAmazon専用のスピーカーでも買った方がいいのかしら。

で、何を聴いているかというとこれが大抵80年代以前の洋楽やケルト・ミュージックだったりします。
世間でよく知られているBon Jovi や私の大好きなU2は80年代から継続して聴いているバンドであり、21世紀に入って好きになったバンドはごくごく限られています。
そんな私の数少ないお気に入り21世紀バンドがColdplayなんですよね。
もちろん、例によって全てのアルバムを追いかけているわけでもないので、Amazon Musicで聴く事ができました。

Wikiで調べてみると、やはり彼らはU2の影響を受けたのだそうです。
サウンドもどこかU2に通じるものがあるし、ヴォーカルなんて、時々、BONOが歌っているのではないかと錯覚するほど。
ただ、U2との違いはあまりギターを強調してないという点とU2にない透明感があるという事ですかね。

私の一番のお気に入り『美しい世界』
ほんとに美しい楽曲で溢れています。

 

Viva La Vida

Viva La Vida

 

 私が初めて観たColdplayのPVがこれです。
このダンスするおばあさん、確か90超えと聞いて驚いたものでした。


Coldplay - The Hardest Part (Official)

空一杯の星空。いつかこの歌みたいな星空を観たいものです。


Coldplay - A Sky Full Of Stars (Official Video)

 このあたりは定番


Coldplay - Viva La Vida


映画『ライフ・オブ・パイ』のCMにも使われていた曲。
ただいま、ハープで練習中で、今年の発表会の課題曲でもあります。
Coldplayはヨーロッパの人間なら知らない人がいないくらいで、ストリートで受け狙いで演奏しようかなと。


Coldplay - Paradise (Official Video)

 

 

【映画評】惑星ソラリス

監督・脚本:アンドレイ・タルコフスキー
出演:ドナータス・バニオニス/ナタリヤ・ボンダルチュク/アナトリー・ソロニーツェン
撮影:ワジーム・ユーソフ
1972年度・ソ連映画

Amazon中古でBlue-rayが2000円で出ていたので購入しました。
昔、BSかCSでやったのをVHS録画してたんですが、DVDに切り替えた時、処分してしまったんですよね。

f:id:kiaralovesharp:20190223155420j:image

惑星ソラリス Blu-ray 新装版

惑星ソラリス Blu-ray 新装版

 

 

21世紀の地球。世界中の科学者が宇宙の彼方の未知の惑星ソラリスに注目していた。
地表がすみれ色の海に覆われたその惑星は一見何の変哲もないが、それ自体が複雑な自己修正能力を持った高等生命体であり、人の思考を思うままに実体化する事が出来る。

心理学者のクリス・ケルビンソラリスを研究している宇宙ステーションに調査の為に送られるが、やがて彼の前に10年前死んだ妻のハリーが現れる。

私は特にタルコフスキー信者でもなく、この人の映画を観ると体調が悪い時には必ずと言っていいほど睡魔が襲ってくるのだが、映像の素晴らしさは認めないわけにはいかないし、この「惑星ソラリス」などはもう別格で何度観ても、新たな発見がある。

それは失った者をもう一度取り戻したいという普遍的なテーマと誰もが持つ郷愁を息苦しいほど切なく描いているからだ。

軌道ステーションに送り込まれたクリスを出迎えたのは、80人以上収容のはずの基地に残っていたわずか3人の科学者と、そこに決しているはずのない子供や女性が基地を徘徊するといった奇妙な現象だった。

科学者の一人はこれに耐え切れずに自殺し、クリスに警告を与える為、ビデオを残していた。やがて、彼はその不思議な現象を身をもって体験する事になる。

何と彼の目の前に突如、10年前に死んだ妻のハリーが現れたのだ。
1人目のハリーは迷わず宇宙船の乗せて飛ばしてしまうが、2度目に現れた彼女を次第に愛する様になる。彼女が、彼の知るハリーそのものだったからだ。

もちろん、彼女は彼の思考の実体化に過ぎず、その彼女が自覚しているのは彼の記憶の範疇であり、彼女自身の記憶は他になにもない。
しかし、彼女には感情があり、彼が彼女を人間として扱う事によって、彼女は人間の女性らしく振る舞うようになる。他の科学者達は、突然に現れる幻を「お客」と言って完全に切り離して考えているが、クリスはハリーの事を自分の「良心」だと主張。
そう、良心を邪険に扱う事などどうしてできようか。幻とわかっていてもその妻を愛してしまうクリスの心が切なくも哀しい。

クリスの哀しみや想いが伝染したのか、人間らしい感情を見につけたハリーは自分の存在価値に疑問を抱き、やがて絶望し自ら命を絶ってしまう。
それはまがい物であるはずの彼女が彼を愛し過ぎた為の悲劇であり、クリスが彼女を人間として扱った事への罰でもあった。

『人間はなぜ苦しむのだろう』
と苦悶するクリス。
『人間が複雑になったからだ。古代はもっと単純だった』

確かに日々の糧を得るのが精一杯の時代には自分の生きる方向性で悩む事などなかった。
こういう哲学問答が随所に見られるのもこの映画の特徴。

ソ連の映画という事もあり、SFXは当然稚拙だが、それでも充分楽しめるのはこれはSFXに比重を置いた作品ではなく、人間の心の深部を掘り下げた作品だったからだ。

クリスの言動を通して予想もできない「未知の出来事」に出くわした時の心の有りようというもの考えさせられずにはいられない。タルコフスキーはこの作品は自分の作品の中では一番の失敗作だったと言っているが、私は最高傑作ではないかと思う。

やがて、クリスの脳電図によって変調されたX線のビームを海に照射すると不思議な現象はぴたっと止まった。しかし、ラストにはあっと驚く映像が用意されている。

水のイメージにこだわるタルコフスキーだが、これほど郷愁のイメージと水がうまく結びついた作品は他に類を見ないだろう。

ところで、冒頭の近未来のシーンに首都高が映るのが見物だが、当時のソ連にしたら高層ビルが立ち並び、ネオンの洪水が溢れた日本の都会は充分近未来的だったのだろう。

【旅行記】阿智村星空鑑賞と南信州

阿智村星空鑑賞ツァーに参加してきました。
阿智村は日本一星が綺麗に見える場所として認定されていますが、天候に左右されるイベントはちゃんと下調べをするべきという事を痛感しました。

星空鑑賞は、天気が良ければそれでいいというわけでなく、星空の雨や雲以外の敵は月。

薄曇が出てましたとはいえ、天気はそこそこ良かったのですが、当夜はたまたまスーパームーンの為、その光源に邪魔され、星があまり見えなかったんですよね。
スーパームーンを恨めしく思うなんて初めてです。

それから、ケーブルカーに乗って山の上で星空を見るという話をブログで目にしていたので、てっきり登るのかと思っていたら、村の広場での星空鑑賞だけでした。
もっとも、あのスーパームーンでは多少上に登ったところで星空はあまり見えないでしょうが。

こちらは阿智村の星空


天空の楽園 日本一の星空ナイトツアー PV


天気がダメでも他の見所を盛り込んでいたので、1日目はそこそこ楽しめました。

最初は恵那峡で遊覧船に乗り、奇岩の数々を眺めましたが、30分の遊覧なので、行きはゆっくりだったけど、折り返しが高速艇みたいなスピードで写真撮りにくかった。f:id:kiaralovesharp:20190221144826j:image


f:id:kiaralovesharp:20190221144919j:image

 

こちらは中山道妻籠宿
江戸時代にタイムスリップしたような街並み。


f:id:kiaralovesharp:20190221144959j:image


f:id:kiaralovesharp:20190221145038j:image


f:id:kiaralovesharp:20190221145120j:image
開発に取り残された事が幸いし、ほぼ当時の姿のままその姿を留めています。
一度行ってますが、20年以上も前の事なのでほとんど忘れています。
釘を使わない従来の日本の建築法を駆使すれば家も長持ちするんですね。
これから、人口減で空き家がどんどん増えていくから古い家を大事に使うべきですね。

2日目は生憎の雨でメインの犬山城は一度行ってるので、パスして暖かいカフェで時間潰しました。
以外と楽しめたのが水引の美術館。
巨大な龍に甲冑等々、これらが皆水引でできたものに見えます?
まさに日本の伝統芸術ですね。
海外でも注目されつつあるといいのもわかります。

f:id:kiaralovesharp:20190221145250j:image


f:id:kiaralovesharp:20190221145318j:image


f:id:kiaralovesharp:20190221145343j:image


f:id:kiaralovesharp:20190221145405j:image


やはり、安いツァーは時間に追われますね。

効率は悪いけど、自由旅行にして、自分の行きたいところに力を入れるべきですね。