私の体は音楽と映画と旅でできている

タイトルのまんまのブログ。中年主婦が映画、音楽、旅行について思いつくままに書いてます。

U2巡礼の旅

2001年にアイルランドU2に関係ある場所を訪れた時の文章を転載します。
北アイルランドに関してはなにぶん、古い情報ですので今はどうなっているのかわかりません。
あの頃は、まだ少し政治的に殺伐としてましたが、今は外国人労働者が増えてきた事もあって、ヘイト・クライムが問題になっているようです。


ダブリンは3回目ということもあって3日ほどしか予定を立てなかったのだが、最初の2日間は 1日ツァーに参加していたため、ようやく3日目でウィンドミルレイン・スタジオに行くことができた。

後で知ったところによると、スタジオは私の泊まっていたホテルから歩いて行ける距離にあり、 こんなことなら夕方にでも無理して行けばよかったと少し後悔。

とにかく、2時にはアスロン行きのバスに乗らなければならないので、朝一番に荷物をバス・ステ-ションに預け、ウィンド ミルレイン・スタジオに向かう。

とにかく時間がないのでタクシーに連れていってもらおうかと 思ったのだが、なかなか捕まらず、せっかく捕まえても方向が違うからと乗車拒否されたり、かと言ってバスに乗るのも面倒くさい、というわけで、ウロウロ歩いていたら、何時の間にかスタジオ近くに来てしまい、人に尋ねつつ、地図の示す方向に歩いていくと自然に着いてしまった。

後で気付いたのだが、オコンネル橋から東に向かってリフィ川に沿って 歩くとわかりやすい。私は帰りはこのコースで戻ったのだが、対岸からは税関も眺められるという格好の散歩コースとなっている。

スタジオは住宅街の中にポツンと建っており、辺りにはほとんど人がいない。
壁がファンの夥しいラクガキで埋め尽くされている。


f:id:kiaralovesharp:20190305220938j:image

スタジオの中に入れるはずもなく何枚か 写真を撮っただけですぐに戻ってきた。

ボノのホテル、クレランスにも行きたかったのだが、時間がなくて断念。せめて、ロビーに 入りたかった。そして、土産物屋を何軒か冷やかした後、バスでアスロンへ。

アスロンはダブリンとゴールウェイの丁度中間に位置し、ここに「The Unforgettable Fire」 のジャケットに使用されたモイドラム城がある。 日曜でインフォメーションが閉まっていたため、B&Bを紹介してもらえないことに気付く。

仕方なく、B&Bを一軒一軒ノックするが、片端から断られて気落ちしていたところ、 パブの上がB&BになっているいわゆるINNを紹介してもらい、そこに泊まることになる。 一泊25£(約4000円)。パブが下だといつでもビールが飲めるし、酔っ払っても すぐに部屋に戻れるからありがたい。

夜には生演奏もやっていて、ケルト・ミュージックを 堪能した。アコーディオン、ボーラン、ティン・ホイッスルという たった3人編成のバンドながらその表現力にはただただ舌を巻くばかりだ。
まさにアイリッシュは音楽と一心同体だと言っても過言ではないだろう。
翌日、インフォメーションでモイドラム城の位置を確認。インフォメーションの女性に 「U2ファンですか?」と尋ねられる。
やはり訪れる巡礼者が後を絶たないのだろう。 この城は街から数キロ離れており、タクシーしかアクセス方法がない。

タクシーの運転手さんと交渉して往復で8ポンドで連れていってもらう。写真撮影している間、 待っていてもらうことに。タクシーは国道を横道にそれ、細い道を入っていく。

やがて、モイドラム城が姿を現わした。鬱蒼と蔦の絡まるその威容は何とも形容しがたい 不思議な雰囲気を醸し出している。私はこの城の履歴は何も知らないが、「アイルランドの 失われた大邸宅」という本に載っており、この廃虚はU2に何らかのインスピレーションを 与えたのだろう。

 

焔~スーパー・デラックス・エディション(初回生産限定盤)(DVD付)

焔~スーパー・デラックス・エディション(初回生産限定盤)(DVD付)

 

彼らはシカゴで原爆の移動絵画展に出会い、ひどくショックを受けた。 その移動絵画展は「The Unforgettable Fire」と名付けられており、彼らは4枚目のアルバムに そのタイトルをつけた。

運転手さんは「自分は長い間タクシーの運転手をしているが、ここに来るのは初めてだ」 と言う。 私有地になっているらしく柵に囲まれているが、その粗末な入り口の戸には 針金を巻きつけてあるだけで、いとも簡単に外れてしまい、運転手さんが中に入れてくれる。
ジャケットはセピア色だったが、実際にこの目で見ると目にも鮮やかな緑が壁上部を覆っていて、 時に忘れ去られたようなこの朽ち果てた城にはほんとにケルトの精が住みついてもおかしくないと 思わせる。

様々な角度で写真を撮った後、街に戻る。ほんとは30分くらいそこにいて後で運転手さんに 迎えに来てもらうという選択肢もあったのだが、寒かったので写真撮影が終わると5分ほどで 早々に引き上げて来た。


f:id:kiaralovesharp:20190305220904j:image

IRAはコンサートなどでことある毎に彼らを批判するU2を煙たがり、一時暗殺リストの トップに載せていた。その緊張感がピークに達した80年代後半、銃弾がいつ飛んでくるかわからない緊迫状態の会場でボノはコンサートを敢行。真剣に命の危機を感じていたそうだが、コンサートを中止すれば脅迫に屈したことになる。彼は敗北しないためにも 自らの命を危険に晒してでもコンサートを敢行したのだ。

そのIRAの本拠地はベルファストにある。ちなみにベルファストはあのタイタニック号が 製造された都市としても有名である。 ベルファストに入ると途端に郵便局の看板が赤くなり(共和国では緑)、店などもMARKS&SPENSER など英国でお馴染みのものが多くなり、何と言っても町中いたるところにユニオン・ジャックが 高々と掲げられ、ここが英国領であることを思い知らされる。
その差は共和国から入って来た者ならば一目瞭然で、これはちょっとしたカルチャー・ショックだった。 ベルファストのバス・ステーションには爆弾テロ防止のために、コインロッカーがない。 そういえば、この後に訪れたロンドンの地下鉄にもゴミ箱がなかったっけ。
しかし、街自体は非常に治安がよく、整然としたその作りはロンドンよりもはるかに清潔と言えるかもしれない。シティ・ホール以外特に見るべき観光名所はないが、南と北との差をこれほど実感させられる都市もなく、そういう点では一見の価値があると言えよう。
バス・ステーションはダブリンやロンドンより遥かに近代的で清潔、ショッピング・モールや 高級ホテルEUROPEに繋がっている。
兵士の姿も見当たらず、装甲車も2回しか見なかったが、おそらく10年前に来たのならもっと 印象が違っただろう。 翌日は、ジャイアンツ・ゴーズウェイに行ったのだが、U2と特に関係がないのでここでは割愛。

カソリック地区を回るタクシー・ツァーについてはアイルランドのMLで教えてもらい、その 存在を知った。 ラッキーにも滞在しているホテルにこのチラシが置いてあったが、小さいチラシなのでほとんど の人が見逃してしまうかもしれない。

ベルファスト滞在の人でも知らないと言っていた位だ。 観光案内所に行ってこのツァーについて尋ねると、丁度ここから出ているというので ツァー開始時間まで少し街をウロウロ。共和国ではあんなにあったアイルランド系雑貨の土産物は姿を消し、1軒だけ申し訳程度にアイリッシュ・リネンの店があるくらいだ。 12:00ツァー開始。タクシー・ツァーは最小催行人員3人で一人7£。

約1時間半ほどでカソリック 地区とその他の地域を回るツァーだ。Shankill RoadとFalls Roadがカソリック地区に当るわけだが、 観光案内所から5分も走れば着いてしまうほど、繁華街に近いというのに、カソリック地区に 入るなり雑然とした雰囲気になり、清潔な繁華街との差をまざまざと見せつけられる。
ただ、ガイドブックには触らぬ神に祟りなしと書かれていたが、いかにも観光客然とした お上りさん丸出しの格好ならばともかく、バスで入って普通に歩いている分には特に問題はないと思う。
これもやはり和平の賜物であってやはり10年前はもっと物騒な感じだったそうだ。

至るところで、IRAの宣伝としか思えない壁絵を目にするが、そこの住人は自分達の住む家の壁にこういう絵が描かれていて平気なのだろうかという素朴な疑問が湧いてくる。
私なら賃貸で あっても絶対嫌だ。これではこの家の住民がIRAのシンパだと思われても仕方がないだろう。 テロ集団と言われているIRAだが、彼らに言わせると数百年もの迫害の歴史の中でほんの短い期間抵抗しているに過ぎないという。言い分はわかるが、私はやはりテロを憎む。


f:id:kiaralovesharp:20190305220819j:image

その後、平和の壁へ。「平和の壁」とは随分聞こえがいいが、要するにベルリンの壁のように プロテスタントカソリックを隔てたもので、プロテスタントはあくまで自分達は「英国人」だと 主張。

一方、カソリック系住民はここはアイルランドの土地なのだから、共和国に戻すべきと 訴える。双方の意識の違いが悲劇を引き起こしている。 壁絵の中には80年代ボビー・サンズなどハンガー・ストライキで命を落したIRAの闘士の 壁絵が誇らしげにその姿を見せている。これもやはりカソリック地区ならではだろう。


f:id:kiaralovesharp:20190305220734j:image

街のあちこちには共和国やIRAの旗が掲げられ、彼らはやはり統一を願ってやまないのだと 思い知らされ、胸が痛んだ。IRAの政治組織シン・フェイン党の本部の前も通ったが、さすがに その前では降ろしてくれなかったが、何やら党の記念グッズまで売っていたようだ。

翌日、私はフライトでベルファストからマンチェスターに向かった。 驚いたのは、通常X線の検査を受けるのは搭乗する人物だけだが、ここでは空港に入る前から 厳重な手荷物検査があったので驚いた。やはりテロを警戒してのことだろう。
しかし、空港には同胞であるカソリックも乗っているかもしれないし、他の国の人間も大勢いる。 彼らを巻き添えにしでもすれば、誰もIRAを支持しないだろう。 U2は無関係な者の命まで奪ってしまうテロを非難していたのだ。