私の体は音楽と映画と旅でできている

タイトルのまんまのブログ。中年主婦が映画、音楽、旅行について思いつくままに書いてます。

U2に関する考察

✳昔、ネットにUPしたU2評を修正したものです。

 


それは、1987年の事、いつものようにMTVをボーッと見ているとU2の「WITH OR WITHOUT YOU」がオンエアされ、そのモノクロの画面に浮かび上がる苦悩に身を浸した様なBONOの表情を見た途端、何か背筋を駆け抜けるものを感じ、しばらくその映像と「WITH OR WITHOUT YOU」というフレーズが頭にこびりついて離れなかった。

もちろん、U2の事はそれ以前から知っていた。デビュー作「BOY」はそのジャケットの少年の余りの可愛らしさは印象に残ったし、「NEW YEAR'S DAY」は、好きな曲で当時、よく口ずさんだりもした。
だが、その当時はブリティッシュ・インベンションの時代で彼らも巷に溢れ帰っているイギリス系ニュー・ウェーブバンドと人絡げにしてしまい、彼らの歌の背景など気付きようもなかった。

アフリカ飢餓や東西冷戦程度は知っていても、ポーランドの連帯など当時の私には理解の範疇外であった。 しかし、「WITH OR WITHOUT YOU」を聴くと以前には感じなかった感覚に襲われ、じわじわと感動が身体に染み込んでいく。早速、私は「THE JOSHUA TREE」を聴いてみたが、その余りの精神性の高さ、崇高さに私は言葉を失ってしまった。 後にも先にもこれ程感動したアルバムは他にないだろう。私はどちらかと言えば無神論者だが、神の啓示とはまさしくこういうものに違いないと思ったものである。

BONOのヴォーカルには一種独特の催眠効果があり、ある種の高揚感が得られるのが特徴だ。
それは、リスナーに歌いかけるというより自分の中に逆流する様な感じで決して押しつけがましくはないのだが、それがかえって人々の共感を呼ぶのである。 (ブルース・スプリングスティーンはこれに近いものがあるが、やや浪速節っぽい(^^;) )
彼の言葉は、経験に裏打ちされた個の言葉であり、様々な境遇の人の代弁者を務めてきた。彼らが金持ちだから説得力がないなどというのは通用しない。

彼らの真実を知ろうとする姿勢は、本物だったのだから・・ ポーランドの「連帯」に触発されて作った「NEW YEARS DAY」。北アイルランドの「血の日曜日」事件を歌った「SUNDAY BLOODY SUNDAY」チリの軍政下で子供達が消息不明になった母親達の嘆きを歌った『マザー・ズオブ・ディサピアード』、
『THE UNFORGETABLE FIRE」は、広島の被爆者の絵のタイトルに触発してつけられたという。メンバーはこの絵を見て絶句し、涙を流したというが、そのエピソードに打たれ、私も泣いた。 他にも、彼らは歌の中で核戦争、マーチン・ルーサー・キング中南米紛争、難民問題など様々な社会的、政治的な事柄に触れてきた。

ところが、彼らの歌詞は余りにも抽象的過ぎてすぐには理解できないものが多い。  こうなったら彼らの曲を片手間に聴く事などできなかった。気が付くと歌詞を片手に歯を食いしばり、拳を握りしめ、涙を流しながらU2の曲を聴く私がそこにいた。

また、彼らがアイルランド人だという事でアイルランドの文献を色々調べている内、アイルランドそのものの虜となってしまった。U2がコンサートの前に必ず流すCLANNADのアルバムを聴いてこの世にこんな美しい曲があったのかと感激し、ケルト・ミュージックも聴くようになり、フィドルを学んでセッションにも参加するようになり、やがてハープの音色に魅せられ7年前にハープを習い始め、最近ではエンヤやU2の曲にチャレンジしているくらいだ。
もちろん、アイルランドにも巡礼に訪れたし、 ニュースなどでIRA関係の事が流れると思わず身を乗り出してしまうし、小説や映画でアイルランドに関する事柄に触れていると思わず惹きつけられた。 今ではアイルランド関係の映画やドラマも増えたが、当時は貴重だったのだ。

一つのバンドと出会うだけでこんなにも私の世界が広がったのである。 魂の求道者、ストイックな殉教者、U2に貼られたレッテルは様々だが、世の中の負債を一身に背負って立とうとするかに見える彼らに少しでも近づこうとしていたのである。
「UNFOGETABLE FIRE」や「WITH OR WITHOUT YOU」に映し出されるBONOは苦渋を極めたキリストの様で悲壮感に溢れていた。
彼はかつて混乱する自己のアイデンティティを模索し、苦悩し、キリスト教と出会う事でその混乱から抜け出せたという事だが、内面の混乱を克服すると今度は視野が世界に向けられ、世界の混沌に心を痛めているといった苦悩する聖者の表情でビデオに映っていた。

その最たるものが「RATTLE AND HUM」で「革命なんてクソ食らえ!」と絞り出す様に叫びながら「SUNDAY BLOODY SUNDAY」を歌う彼の姿だった。 その鬼気迫る姿にはただただ圧倒され、身体中総毛だった。 ボウイやスティングが社会的政治的な事を歌ってもそれほど悲壮感や痛ましい程の共感を得られないのは、その洗練されたルックスもあるが、彼らが支配される側の民族でないからかも知れない。

 

ヨシュア・トゥリー

ヨシュア・トゥリー

 

 

幾多の苦渋と屈辱の歴史を生き抜いてきたケルト人の表情には常に深い悲しみの表情をたたえているように見えるのは私の気のせいだろうか。 BONOのしかめっ面を見ているとそういった思いが脳裏をよぎり、弱い立場の人達に対して無関心でいられず、この世界の荒れように心を痛め苦悩している様に見えたのだ。 それがU2との同化願望が強い私に伝染し、同じように眉間に盾皺を寄せ、苦悩ぶって陶酔の極致に陥っていた。

そんなU2が「アクトン・ベイビー」で「ヘイ!ベイビー」と歌うのは少なからず戸惑いを覚えた。
今にして思うと私の様な思い込みの激しいfanは彼らにとって重荷だったろうなと思う。世の不正に正義の鉄拳を振りかざすという役目を負っている様に見えた彼らは、不必要に神聖視されることを拒んだ。

「僕がガンジーマーチン・ルーサー・キングの様な人格者達を讃えているので、同じように穏やかな非暴力主義の人間だと見られがちだが、ほんとの僕は大変攻撃的な性格で右の頬を打たれたら相手の左右両方の頬を打ち返すタイプだ。僕が彼らに惹かれるのは自分が持っていないものがあるからだ」とBONOは語る。

 

「アクトン・ベビー」のアクトンとはドイツ語でアテンションの事であるが、「リラックスしろ」の意味も含まれている。彼らは自分達に「気楽にやろうぜ」と語りかけるつもりでこのアルバムを作った。

「ZOOTVツァー」では、極彩色の毒々しい証明に彩られたステージで「ザ・フライ」や「マックフェスト」なるロック・スターや悪魔のカリカチュアされた姿を演じてみせ、ステージからホワイト・ハウスやタクシー会社に電話をかけて皆の度肝を抜いた。(日本公演では日本大使館首相官邸にかけたというのはほんとだろうか???)

そのあまりの変貌ぶりに一瞬BONOが狂ったのかと思い、心中穏やかではいられなかったのだが、某氏のツァー・レポートで《目の前で演奏しているU2は実の所、自分達の真の姿ではない、ペルソナなのだ。と告白している様だった》と書かれているのを読んで目からウロコだった。これは彼らのアイルランド流ジョークだったのだ。

司馬遼太郎氏の「愛蘭土紀行」で死んだ鍋なるジョークの事が書かれている。 《アイルランド人が吐き出すウィット、あるいはユーモアは、死んだ鍋の様に当人の顔は笑っていない。相手はしばらく考えてから痛烈な皮肉、もしくは揶揄である事に気付く》 
かつては資源も経済力もなかったアイルランドにあるのは、一枚の舌、それに激情、屈折した心、その屈折から来る華麗な言語表現だけだった。 BONOは言う。「英国人は言葉を貯め込むけど、アイルランド人は言葉を浪費する」と。

U2は彼らの持つ豊かな言葉の束を駆使し、その独特のジョークでマスメディアによる情報操作を風刺し、嘲笑し、そして彼らに押しつけられたイメージまでをもひっぺがして見せようとした。

アプローチの仕方は変わっても、もしくは変わったように見せかけてもさすがは私のU2、只者ではない。

21世紀に入ってU2はさらに成熟を見せ、直近の『Songs of Innocence 』『Songs of Experience 』という大傑作を生み出した。
今までの楽曲に比べるとキャッチーな曲に溢れ、明らかに肩から力が抜けているようだ。90年代のPOP3部作でも『アクトン=リラックスしろ』と言っている割に私には無理しているようにしか見えなかった。

ヨシュア・トゥリー」で聖なる頂上に到達した様に見えたU2であったが、あの頃でさえ通過点に過ぎず、まだまだ彼らの旅は続いているのだ。

いや、彼らにとってこれで終わりだという終着点など金輪際見付からないのかも知れない。 U2を形容するのに硬派、誠実、清冽などの言葉が思い浮かぶが、私のU2のイメージは「幽玄」である。もはやこれといった定義を押しつける事ができないのである。 彼らはまだまだ成長し、進化していく事だろう。