私の体は音楽と映画と旅でできている

タイトルのまんまのブログ。中年主婦が映画、音楽、旅行について思いつくままに書いてます。

【Netflix】デリー凶悪事件

以前、女性ジャーナリストの有本香さんがFacebookでインドの性犯罪の多さについて言及してらして、IT先進国で親日で悠久の歴史のある国と手放しで憧れる人間が多いけど、もっとインドの危険性について知らせるべきと警鐘を鳴らしてました。

もちろん、このような凶悪化な犯罪を犯すのは全体の数%ですが、人口が多いだけに犯罪も必然的に多くなるわけです。
ある意味、反日である中国の方が建前は男女平等であるがゆえに、そういう点ではまだ先進国感があるかもしれません。

こういったインドの実態を知った後、バスでの集団レイプ事件の事を知りました。
女子大生が恋人と深夜のバスに乗った時、そこの乗客5人と運転手の計6人に口に出すのもはばかられるような残虐な方法でレイプされ、女子大生は手術の甲斐なく、保護されてから2週間後に亡くなりました。
この事件による国民の怒りは相当なもので、警察や政治の無能に対し、デモが起り、犯人に極刑を求める声が起こりました。

インドではレイプは日常茶飯事で大したニュースにもならなかったのに、殊更に注目を集めたのは、その希に見る猟奇性と被害者が中流家庭の美人女子大生だったからです。
レイプの被害者と言えば圧倒的ににダリットの女性が多く、それゆえ警察も真剣身に欠けているのは明らかですが、背景にあるのは、インドに今も根強く残るカースト制度

ダリットとは江戸時代に日本にいたいわゆるエタ非人の事で、カーストの中にも入っていない人間の事で、人間にあらずから何をしても許されるていった風潮があり、被害女性もほぼ100%届ける事なく泣き寝入りとなります。
ダリットのレイプが表沙汰になるのは、その被害者が殺された時だけですが、遺族がどれ程訴えても警察は真剣に犯人を探そうとしません。
そんな背景もあって、今度は中流家庭の女性が被害に遭ったという事で国民の怒りは頂点に達し、世界を巻き込んでの大ニュースとなりました。
昨今になって急にインドでレイプ事件が増えてきたように思われがちですが、告発する女性が増えてきたからで、今まで隠されていた恥部が表面化してきたに過ぎません。

この事件を警察の視点からドラマ化したのが、Netflixオリジナルの『デリー凶悪事件』で、被害に遭ったカップルが発見されてから、犯人が全員逮捕されるまでを時系列で描いています。
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確かに検問をサボったり、無能な警官は少なくないようですが、全員が全員やる気がないわけでなく、主人公の女性警部をはじめ、多くの捜査官が不眠不休で捜査をし、徐々に犯人を追い詰めていく過程は見応えあります。

実話なので派手な演出もなく、最後に出てくるだろうと思った事件の再現シーンもなく地味な印象を受けますが、被害者や犯人の供述だけで、事件の恐ろしさが手に取るようにわかり、その残虐性に震えました。

署長の娘がこんな街を出て外国に出ていきたがるのもわかるというものです。

インド映画と言えば能天気な歌と踊り満載のマサラ・ムービーを連想する人も多く、その感覚でインドを旅行すれば痛い目を見ます。
現実が地獄だから人々は映画で現実逃避をするのでしょう。

私はもう若くはないのっ、女性としてのリスクは低くなりますが、インドには一生行かないでしょう。

宝塚歌劇『ポーの一族』

宝塚歌劇で『ポーの一族』をやると聞いた時は、そもそもアニメすら許さんと思っていた私、「人間がエドガーやアランをやるなんて、冗談はよしこさん」って感じで全く食指が動かなかったのですが、ポスターを見たらなかなかイメージに近い感じだったので、怖いもの見たさ半分で去年観に行き、思いの外うまくまとめていて、なかなか楽しめました。
何より主役の少年2人の役者がいい!
14歳という設定なので、あまり背がすらりとしていたり、舞台用の化粧が濃過ぎたら興醒めなのですが、エドガーは華麗でありながら、くどすぎる事もなく、アランも透明感があって良かったです。

宝塚専門チャンネル、スカイステージの無料放送があり、この作品が放映されたので
改めて見てみました。
こういうのは生でないとその良さは伝わらないのですが、映像は顔とかアップになるのがいいですね。
ただ、遠目で観た舞台では気付きませんでしたが、メリーベルがやや普通っぽいかな。


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【Netflixドキュメンタリー】ビハインド・ザ・カーブ

捕鯨ドキュメンタリー『コーブ』の反論ドキュメンタリー『ビハインド・ザ・コーブ』というのもありましたが、それとは全く無関係。
都市伝説の『地球平面説』を信じる人たち事を扱ったドキュメンタリーで、アメリカでは結構増えているそうです。

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こういうトンデモ説が出てくるのは、聖書の記述は全て事実であると信じている原理主義者が実に10%もいるという事も無関係ではないでしょう。
もちろん、地球平面説を信じる人にそういう人が多いのは確かですが、科学的に疑問を持って自分なりに調べてみてそういう結論に達したという人達に焦点を当てていて、なかなか興味深かったです。
彼らは特に狂信的でもなく、いたって普通の人達で彼らの話を聞いていると以外と意外に納得できてしまうんですよね。

地球平面説の理論は以下のようなもの。

彼らの説では真ん中に北極があり、周囲は南極と言っている氷の山で囲まれ、太陽はサーチライトのようなものでぐるぐる回っていると本気で信じていますが、こういう人が増えてるんですよね。

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いわく、

『国連マークが非常に平面的』
『地球が丸ければはるか彼方の街が見えるはずないのに見えている』
『南極は飛行禁止区域になっている』

もちろん、これらの説に対し、一つ一つ反証していってますが、彼らはどんなに論破されても自説を曲げようとしないんですね。
『地球平面協会』なるものもあり、彼らは同じ価値観の人との交流が生き甲斐になっています。
自説を力説し過ぎて友人を失ったり、家族に縁を切られた人もいるというから、同じ価値観の人としか付き合いたくないのも理解できるというものです。

私はその昔、『月面着陸捏造説』を信じかけた事があって、某mixiで疑問を投げ掛けたらアポロがきっかけで物理の道を目指したという人から縁切りされた苦い経験があります。
それから自分なりに色々調べてみて今では人類は確かに月に行ったと確信していますが、映像だけはキューブリックが撮影したという説が有力ではないかと思っています。
確かにスマホ以下のコンピューターで月に行けたなど信じられないと思いたくもなるというものです。
しかし、ソ連がずっとアポロの動きを追いかけているでしょうから、もし、捏造しようものなら、大々的にネガティブ展開キャンペーンをはるでしょう。
『地球平面説』も、もし、ほんとに地球が平面だったとして、それを隠す為には世界中の科学者や今まで宇宙に行った宇宙飛行士がグルにならなければ、不可能であり、彼らを嘘つき呼ばわりする事になり、それこそ冒涜でしょう。

ネタとしては面白い説ですけどね。

 

 

【映画評】幻の映画『MISHIMA』

原題:『Mishima: A Life In Four Chapters』。
製作:フランシス・フォード・コッポラ
ジョージ・ルーカス
監督:ポール・シュレイダー


日本とアメリカ合衆国の合作で、三島由紀夫の生涯とその文学作品を題材にした伝記風の芸術映画。
「美」「芸術」「行動」「文武両道」の4つのチャプターから成り、第1部「美(beauty)」には『金閣寺(Temple of the Golden Pavilion)』、第2部「芸術(art)」には『鏡子の家(Kyoko's House)』、第3部「行動(action)」には『奔馬(Runaway Horses)』(『豊饒の海』第二巻)の三島文学をダイジェストで映像化した3部のそれぞれに、三島が自決した当日の起床からの経過を追ったカラーのドキュメンタリー調の「1970年11月25日」のシークエンスと、三島の幼少期から「楯の会」結成までの半生をモノクロームで描いた「フラッシュバック(回想)」のシークエンスを交えた展開となっている。
Wikipediaより転載)


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30年ほど前にレンタル屋の片隅にあったのを借りて見たきりだったんですが、この度、知人がアメリカから取り寄せたDVDを貸していただき、再見する事ができました。

昔、観た時はピンと来なかったのですが、今、観ると美術、映像、キャスト、音楽、全てにおいてスゴい作品だと再認識いたしました。
特に、劇中劇の部分はまるで舞台のようなセットで現実世界との差別化を図ってるんですが、所見時はなんやこれ?とついていけなかったのが、今は美しいと思えるから不思議です。

三島役が緒形拳であと、永島敏行、佐藤浩市が出ていた事くらいしか記憶になかったのですが、『鏡子の家』に沢田研二が出てたんですね。
今は観る影ありませんが、この時はまだ美しいです。
濃密なエロティシズムを醸し出す一編で、破滅の美学が見てとれます。

当初は劇場公開されるはずだったのが、三島の遺族に許可されず、DVDも日本では発売禁止となっています。
三島の同性愛の部分がクローズアップされているからというのもありますが、同性愛のシーンは今見ると大したことなく、事実の改竄があるとか、そういう事らしいです。

仮面の告白』『禁色』も読みましたが、今こそ映画化して欲しい作品です。

DVDにはドキュメンタリーも収録されてましたが、舞台に出たり、写真集を出したり、相当なナルシーでこのあたりは石原慎太郎と被るのですが、三島はもっと破滅型というか、純粋な狂気を感じました。

自衛隊にまで罵倒され、絶望から切腹による死を選ぶわけですが、あのまま逮捕されて日本中から嘲笑されるよりは潔く死にゆく事で自分なりの美学を完成させたのでしょう。
おかげで世界中の人々の脳裏に刻み付けられましたね。

ドキュメンタリーで美輪明宏が『あまりにも彼らしい最期だなと思った。しかし、私はあえて長生きして老醜を晒して欲しかった』と言ってたのが印象的でした。

英国ホリック

私は一時重症の英国フリークだったので数年に一度は英国の土を踏みたくなります。

別冊宝島 ロンドン攻略読本』の「タイプ別日本人ブリティッシュ度の研究」というコーナーに日本人の英国との相性度を出すというゲームが載っています。よく女性週刊誌にあるようなYes-No式で矢印を辿っていき、「あなたはどのタイプ」というあれです。

タイプAが『ナチュラル・ボーン・英国人タイプ』で相性120%。「間違って日本に生まれてきたような人で男女を問わず何かの才能が突出した人が多く、個性的。
それだけに日本に帰国後の虚脱感は絶大、そして、今まで我慢できた日本的因習がことごとく気に障り始める」とあり、その対極にあるのがタイプH「盆踊り英国人タイプ」で相性マイナス100%。
「男女問わずこのタイプはいわゆる<オバサン>でロンドンにいながらにして「ここはアメリカでしょ」などと平気で言ってしまう。
店に乱入しては根こそぎ買いまくり、その上、すぐに帰ってくれるので英国にとっては実は一番ありがたいタイプ」とあります。

ちなみに私は相性100%、タイプB『ヘタウマ英国人タイプ』で「人は人、我は我、といういわゆる個人主義タイプの人で悪く言えば自己中で我がまま。要は好きに生きているのだが、決して意志が強いわけではなく好奇心旺盛なだけ」と結構当たっているので笑ってしまった。

まあ、この手のゲームはお遊びなのであまり真剣に取らなくてもいいわけですが、確かに相性というものはあるようで、永住するのではなく、旅行目的や短期滞在に限定するならロンドンはニューヨークやパリなどより肌に合うようです。  


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私と英国の出会いはQUEENDURAN DURANなどに代表されるいわゆるブリテッシュ・ロックでした。反体制の人間であるにも関わらず、ユニオン・ジャックを背負っても全然違和感がなく、彼らからはまだ見たこともないロンドンの香りが漂っていました。

このように些細な事がきっかけで私のロンドンへの想いはいやが応でも高められていったわけですが、私が若い頃はそう簡単に外国に行けるはずもなく、ようやくパック・ツァーという形で初めてロンドンの土を踏めたのは20代前半のことでした。 
 
わずか三日ほどの滞在でしたが、先に訪れたパリ、ローマよりも馴染みやすく、居心地が良かったのですが、義務教育で英語を習っていて耳に英語が慣れているというのもあるのでしょうが、今思うとイギリスの持つ重厚な雰囲気が日本人の侘びさびの精神に通じるものを感じたのかもしれません。
しかし、その時の私はレコード店やクラブに出かけたり、ロック関係のものばかり漁っていたのでそのような深い事には気づかなかったのです。このように英国というと私にとってはあくまでロックだったのです。 それから数10年!の間、英国は二桁訪れましたが、毎回新しい発見があります。
良くも悪くも面白い国ですね。

 

【映画評】アミスタッド

製作:スティーブン・スピルバーグ/デビー・アレン
監督:スティーブン・スピルバーグ
出演:マシュー・マコノヒーアンソニー・ホプキンスモーガン・フリーマン ジェイモン・ハンスゥ/ピート・ポスルスウェイト
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムス

最近、黒人の映画が熱い。
ポリティカル・コレクトネスの影響で黒人の映画に賞を与えるべきという無意識の圧力があるようですが、今、『アミスタッド』が作られたら、絶対にアカデミー賞を取っていたでしょう。あの頃はスピルバーグは『シンドラーのリスト』で念願のアカデミー作品賞を受賞したばかりだからもういいだろうと思われたのかも知れません。
結構コアな映画ファンを自称している友人も知らない、歴史に埋もれた傑作ですが、これが再見してみたら大変見応えがあり、グイグイ引き付けられました。『それでも夜は明ける』『グリーンブック』に勝るとも劣らないとも作品だと思いました。
例によって昔書いたレヴューを転載させていただきます。

アミスタッド [Blu-ray]

アミスタッド [Blu-ray]

 

「アミスタッド」とは”友愛”を意味するが、この船に奴隷交易に使用されていたのは何とも皮肉だ。
この船に繋がれたアフリカ奴隷が反乱を起こし、アメリカ海軍に捕らえられ、裁判にかけられるが、彼らを助けようと前大統領アダムスや弁護士が立ち上がる。

1839年奴隷制度そのものは存在していたが、奴隷貿易そのものは禁止されていたという微妙な時代に起こった出来事で、当時のスペインとの関係など歴史をある程度頭に入れて観たらもっと理解しやすいだろう。

アメリカはヨーロッパの因習や抑圧から逃れるためにやって来た人々にとっての新天地であり、彼らもまた虐げられた者だった。
ゆえにその子孫はリベラルな人間が多く、また、ワシントンの提唱する自由と平等を建前としている以上、どんな人種にもそれが適用されなければならないと考えるようになっていた。

南部に依然として奴隷制度が残る一方、奴隷解放運動も盛んに行われていたのにはこういう背景があった。
何も奴隷解放の論考は南北戦争前後に起こったのではなく、この様な運動が連綿と続き、ついに南北戦争北軍の勝利で実を結ぶのだ。
映画をは基本、予備知識なしで見る方が良いが、歴史物の場合には基礎知識くらいは頭に入れておく方がいいだろう。

もっとも、映画は娯楽でもあるので背景など知らなくても充分楽しめるものでなくてはならない。
そういう点ではあの裁判のシーンはよく出来ていたように思う。それは「意思の疎通」の過程を中心に持ってきているからだ。
スピルバーグは「未知との遭遇」「E・T」「太陽の帝国」「シンドラーのリスト」などで異人種間交流というテーマにこだわり続けて来た人だ。
今回も弁護士が通訳を介してアフリカ人と意思の疎通を図ろうとする所は一種の見せ場になっている。
裁判という、言葉が支配する場においては、ETとのコミュニケーション以上に、互いの意思の疎通が重要だが、ボールドウィンが何とかニュアンスを伝えようとするシーンで、シンクェ側にはその概念がない為、観ている我々も非常にもどかしい思いをするわけだ。

それにしても人間が人間に対してどこまで残酷になれるのかという事を改めて思い知らされた。積み荷を減らすために黒人を海に「捨てる」シーンなど背筋が凍った程だ。
こんな事ができるのは西洋人が黒人奴隷を家畜としか思っていないからだが、私なら家畜に対してもこんな事はできない。

ボールドウィン弁護士を演じたマシュー・マコノヒーは、「評決のとき」と同じ様な感じの役かなと思ったら最初は何か胡散臭い人物でその彼が次第にヒューマニズムに目覚め、全面的にアフリカ人に肩入れしていく過程はなかなかの見せ場だった。
アンソニー・ホプキンス演じるアダムス大統領は、最初は関わりたくないとか言いつつ、ボールドウィンとシンクェ達が窮地に陥ってから再登場し、ほんとにおいしいとこ取りで「おいおい、それはないだろー」と思わずにはいられなかったが、元大統領の彼が弁舌するから説得力あったのだとそこは目をつむろう。
撮影は、「シンドラーのリスト」「ロスト・ワールド」に続いてヤヌス・カミンスキーが担当しているが、今まで以上に美しい映像で魅せてくれる。
「ロスト・ワールド」も、ストーリーはトホホだったが、カメラ・ワークだけは芸術的と言ってもいい位素晴らしかった。
80年代のスピルバーグの映像は美しいがどこか軽かったが、このヤヌス・カミンスキーが担当するようになってから重厚と洗練が加わった様に思う。光の当て方などさながらレンブラントルーベンスの絵画の様だった。
音楽は私の大好きなジョン・ウィリアムズだったが、アフリカ風の音楽で非常にムードがあった。

 

箕面スパーガーデンで大衆演劇鑑賞

昨日は箕面スパーガーデンまで、大衆演劇見に行ってきました。
通常、こういう施設に来る場合は温泉と食事がメインで演劇はオマケみたいなものですが、私たちは演劇がメインで温泉はオマケ。
そういう私達にとって平日料金で大衆演劇+温泉で1580円はコスパ良すぎ。

駅に降りてしばらく歩くと長いエレベーターがあり、それに乗って一気に山の上にあるホテルまで。
大阪の街が一望できますが、夜景の方が綺麗だそうです。


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最上階に天空の温泉があるのですが、こちらは宿泊客しか利用できないとの事。

この温泉施設は有名な『大江戸温泉物語
有馬温泉の太閤の湯みたいな温泉テーマパークですが、温泉施設は割と普通でゲームも卓球もやらない私には大衆演劇がなければ意味ないかもしれません。

しかし、私達にとっては大衆演劇が目当てで温泉の方がおまけなので、そんな事は気になりません。
座席は400程でパイプ椅子も用意されていましたが、料金に含まれているので、ほぼ、満席状態でしたが、温泉客のほとんどが演劇がおまけみたいなもので、今回おひねりは少なかったです。

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梅田などは経費かかるので、おひねりが皆さんの収入源になるみたいですが、ホテルの場合、食と住が保証されている他、ちゃんとギャラも出ているのでしょう。
しかし、劇団の方はこのホテルはお気に入りみたいで、来月は回りに何もない温泉地に行かなければならないと嘆いてました。(笑)
確かに箕面は梅田に近く、オフの時など羽を伸ばせますからね。

10人ほどの小楽団で、3人いなかったので、交代で休みとっているのかも知れませんね。

若い子は皆綺麗なのですが、団長、副団長が女形姿になった時の立ち居ふるまい、優雅さなど、はっきり言って女性の団員さんより様になっていて、経験値だと思わせます。


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もちろん、若い子の踊りも十分うまくて目の保養でございました。

梅田の劇場は熱狂的なファンが多く、おひねりが飛び交い、前売り券やグッズ販売のコーナーに力を入れてましたが、やはり温泉ホテルはついでのお客さんが多く、そういう点では控えめでした。


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今回、滝は何度も行ってるので、演劇と温泉だけでしたが、見所は他にもあるので、1泊して翌日箕面の滝周辺を散策するのもいいかもしれません。